オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

腕・脚を体幹とつなげることがスタート?

体幹と末端がつながりさえすればなんとかなる!と思うんです。

逆に言いますと、体幹と末端がつながっていませんと、どうしても表面的な動きになってしまうだろうなぁと。

 

 

和の身体は以前お話をしましたように、無線的つながりの身体で各パーツがバラバラ

特に、今回のお話で重要となるのは、腕・脚が体幹から切り離されているという点になります。

 

日本人が手先が器用だと言われるのは、体幹と手がつながっていないので、ブレないで済む。細かく繊細に動かしやすいからなんです。

一方で、小手先という言い方で、手先だけで何かをすることを悪く言ったりもしますね。

 

このような身体では、体幹から動くのが難しいんです。体幹からの動きが腕・脚に伝わらないから。

(伝わるように動けますと、小手先ではなくなる。)

 

体幹が大事という言い方と共に、昔から腹(肚)、軸が大事とよく言われるのは、やはりそれが機能しづらいからです。黙っていても機能するようであれば、わざわざ言いませんね。

多くの人が、手先だけに意識が行ってしまい、体幹、腹(肚)、軸が疎かになりやすいんです。

 

そのような身体で、体幹を鍛えたり、腹(肚)、軸を養ったところで、腕・脚が体幹から切り離されていることを解消しない限りは、それらは本当の意味では機能し得ませんよね。

 

一方、西洋の身体は、有線的つながりの身体で、腕・脚が体幹と接続されています。体幹から動いて手足を放り投げるような動きになりやすいんです。荒っぽいといいますか、ダイナミックということですね。

 

 

ですから、西洋の身体がベースの動きを学ぼうとしましても、腕・脚が体幹から切り離されている和の身体のままでは、たとえ体幹を鍛えたり、腹(肚)、軸を養いましても、どうしても表面的な形のモノマネで終わってしまうんです。

 

 

ちなみに、和の身体では、末端である手先から動き出して、体幹をひと塊のまま、その手先について行かせるような動きが重要でして、例えば、スーッと進んでドン!と拳を当てるような動きですね。うねりは禁物です。

この「うねりが禁物」ということは、粘っこい動きが禁物ということでもありまして、足で地面を蹴るようなことも粘りが生まれるので禁物。すり足的な、足首を曲げたままの足運びが必要になるわけです。

 

で、体幹をひと塊のままにするためには、腹(肚)、軸が大事になるんですね。体幹を真っ直ぐのまま動かないようにするわけです。

ただし、高度な領域では、「割る」という言い方で、右半身と左半身をスライド(上下でも、前後でも)させる使い方や、さらに高度な前半身と後ろ半身を上下にスライドさせる使い方をするようになりまして、これは西洋の身体からの視点で見ますと、螺旋の動きと言えます。(伸びる動きがありませんので西洋とはやはり違いはありますけれど。)

 

 

と、和の身体は腕・脚が体幹から切り離されているけれど、それを繋げられますと、いわゆる高度な身体の使い方が可能となるのだと思います。

昔の日本人は凄かったと言われるのは、みんな身体を使った(使わざるを得ない)生活をしていたからでしょう。

それに比べ今の、身体を使わずに済み、かつ洋風の様式で生活している私たちは、ただただ腕・脚が体幹から切り離されたまま。ただただ各パーツがバラバラの身体。

昔の日本人が凄かったことと、今の自分は何も関係ないということですね。

 

しかもですね、腕・脚が体幹から切り離されているが故に、かえって肩が力んでしまうんです。

やはり本能的には接続が必要だと分かっていて、けれどどうにもならずに、ただ力任せで接続させてしまっているわけです。

肩の力を抜くことが出来ないのは、本能に逆らうことになるので、難しいということでもありますね。

さらに、軸を作ろうと、体幹を硬直させてしまい、どんどん融通の効かない身体に。

 

(つまり、力みの原因は、腕・脚が体幹とつながっていないことにあるということですね。)

 

ですから、西洋的な立体的な動きを身につけようとするならば、もちろんのこと、和のものを身につけるにしてましても、まずは何より腕・脚を体幹と接続する必要があるわけです。

 

そんなことで、西洋のものを日本人が教えている場合には、気をつけませんと、指導者自身が体幹と末端が繋がっていないことがあります。それっぽく動いているだけということです。

教える側と教わる側、お互いが同じ身体なので教わりやすいかもしれませんけれど・・・選択ですね。

 

ちなみに、和のものを身につけようとしますと、思った以上に難しいのですけど、それはやはり、指導者は体幹と末端が繋がっていて、「割る」使い方さえも、当たり前に息をするように使えているからだと思われます。

今のほとんどの日本人にとっては、西洋のものを学ぶのと、それほど大きな差はないように思います。

 

最後に。

とにもかくにも、体幹と末端である腕・脚を繋げることからですが、最近、息を吸うことが肝なのではないかと考えています。

 

 

 

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表現の土台 うねる振り付けを踊るには?

今日、海外のコンサート中継を見ていましたら、バックダンサーで気になったことがありました。

非常に面白いといいますか、重要なことを改めて考えさせてくれたんです。

 

4人の女性バックダンサーの中にひとり、日本人と思われる人がいたんです。

他の3人は中南米系、アフリカ系でしょうか?

 

ダンサー4人とも背格好は同じなので、日本人ダンサーは日本人としては相当にプロポーションの良い、カッコイイ人。

振り付けもうねりの多い、セクシーでカッコイイもの。

 

ところが、といいますか、それだけに、踊りの質の違いが浮き彫りに。

日本人ダンサーは踊りが少し子供っぽいんです。

 

いや、すごく踊れるんですよ。そもそもメインの歌手はグラミー賞を取っているような人で、歌手本人がダンサーでもあるような人らしく、そのバックダンサーですから、そりゃぁ十分すぎるくらい踊れます。

 

けれど、如何せん、土台の質が違うんです。

うねりの多いダンスなので、より違いが大きく現れていたんです。

 

 

どう違うか?

 

 

分かりづらい言い方かもしれませんけれど、

その日本人ダンサーが1回うねるところを、他の3人は2回うねっているように見えるんです。

(厳密にいいますと、日本人ダンサーのうねりは、うねりではないのですけど。。。)

 

 

もちろん、振り付け的には1回うねりです。

ですから、2回うねりに見える他のダンサーも、そう見えるというだけで、2回うねっているわけではないんです。

 

つまりですね、振り付けとして2回うねりであるなら、日本人ダンサーも2回うねるはずでして、それが出来ないわけがない。なので、その1回を大きくうねろうと踊っているんです。

 

で、ここが重要なことだと改めて考えさせてくれたポイントになります。

 

他の3人のダンサーは、わざと2回うねって見えるように踊っているわけではなく、本当にうねっているから、そう見えるだけで、日本人ダンサーはうねりを真似た動きをしているので、1回うねりにしか見えないんです。

 

この違いは、相当に大きいですね。

 

振り付けの練習をどれだけやりこんでも、変わることはありません。

変われるのであれば、この日本人ダンサーも他の3人と同じように2回うねりに見える動きになっているはず。

 

振り付けの問題以前に、動き以前に、土台である身体の質、エネルギーラインの通り道が、表現の質に大きく影響してしまうということなんです。

 

 

一般的に日本人はうねる動きが出来ません。うねろうとしても、曲げる・ひねるといった動きになってしまうんですね。

 

これは踏めていないからなんですけど、以前お話をした有線でのつながりか?無線でのつながりか?でもあります。

 

ひと言でで分かりやすく例えますと、日本人の無線的つながりの身体とは、だるま落とし的な身体で、高度な動きのできる人は、それぞれのパーツが無線でやりとりして、同時に動いたり、時間差で動いているような感じなんです。それに対しまして、西洋の有線的つながりの身体とは、だるま落としの中心をスプリングを通して全パーツをつなげているような身体です。ですから、一つのパーツの動きが全てのパーツに物理的に影響し、しかも必然的に少し時間差が生じるんです。

 

こちらを参考下さい。

 

この例えがイメージ出来ますと、うねりが1回になるのか?2回に見えるようなうねりになるのか?が見えてくるのではないでしょうか?

 

日本人ダンサーは「キュッ」と、だるま落としの真ん中のパーツを単体で動かしているのに対して、他の3人のダンサーは同じ真ん中のパーツを動かすために、違うパーツを動かしているんです。

 

これを別の見方から説明しますと、他の3人のダンサーは、真ん中のパーツを単体では動かせない(そんな動きをすると、冗談でやっているような気持ちになる)んですけれど、逆に日本人ダンサーが他の3人と同じように動くためには、意識的に真ん中以外のパーツを動かす必要が出てくるんです。自然には動かないパーツをあえて動かす必要があるということですね。

 

中心をスプリングでつないだだるま落としのぶるりん!とした動きを、単体で分かれている本来のだるま落としで真似ようとするのは、ほぼ不可能だと思いませんか?

全てのパーツをどういうタイミングでどれくらいのスピードで動かせば良いのか?スーパーコンピューター並みの分析力と実現力が必要です。

 

これが、振り付けの練習をどれだけやりこんでも、変わることはないといった理由です。

 

身体の質、エネルギーラインの通り道を変える必要があるということなんです。

 

 

(昨日の日曜特別クラスでは、偶然ではありますけど、うねりが生まれる身体を取り上げていましたので、レッスン参加者の人は、今回のお話、よく分かるかと思います。)

 

 

ということでして、身体で表現するといいますのは、振り付けの問題以前に、動き以前に、土台である身体の質、エネルギーラインの通り道を見せるということと言えるのかもしれません。

 

どこに目を向けて訓練するか?

同じ労力であるなら、何に注ぐのが近道なのか?

 

 

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日本人には不利?

前回、発声の意味・大切さのお話をしましたけれど、これ、日本人にはとても不利なんです。

 

え!?

 

ですよね。

 

まあ、だからこそ、やったほうがいいんですけれど、なぜ、日本人には不利なのか?

 

これ、脳の問題と、言語の問題と二つあるんです。

 

この二つの問題のために、日本人は発声の際に、音ではなく言葉にしてしまい、それゆえ、単に発声しただけでは、全身にエネルギーを通すことにはならないんです。

 

ですから、発声を有効活用するためにも、活用し得る発声を知る必要があるわけです。

 

 

では、どうして問題が起きるのか?

まず脳の問題から。

 

 

日本人は虫の音を美しい音色として受け取るけれど、欧米など外国の人にとっては雑音でしかない。

そんな話、聞いたことがありませんか?

 

これは、日本人は虫の音(など自然界の音)を左脳・言語脳で受け取り、欧米人は右脳・音楽脳で受け取っているからと言われています。

つまり、日本人にとって、虫の音は虫の言葉・声ということで、欧米人にとっては意味を持たない空気の振動としての音、騒音でしかないということになります。

 

なぜそうなるか?と言いますと、言語の問題の一つが出てくるんですけど、日本語は母音と子音が一体化した言語で、欧米などほとんどの言語は母音と子音がそれぞれ独立した音を持つ言語だから、ということなんです。

(母音と子音が一体化した言語は、日本語以外ではポリネシア系の言語だけらしいですね。)

 

虫の音、動物の鳴き声、風や川など自然界の音は、母音的なんです。子音が無い音で、響きだけの音なんですね。

日本語のように母音と子音が一体化している言語は、極めて自然界の音に近い音ということで、そうしますと、自然界の音を、自分たちが普段喋っている言葉と同じものとして受け取れる、受け取ってしまうわけです。

 

一方、子音が独立した音を持っている欧米などの言語は、言語としての音とは子音の音とイコールなんでしょうね。自然界の音である母音的な音は言語的な音ではないのでしょう。

 

自然との共存に価値を置く日本人と、自然を克服することに価値多く欧米との差でもありますね。

 

と、普段耳にしている音を、言語として聞いている日本人と、ただ音として聞いている欧米人とでは、当然、音に対する感覚が違いますよね。

 

これが、脳の問題です。

 

 

次に言語の問題。

 

これは、発声の問題でもあるのですけど、以前にも取り上げましたように、日本語は口先で喋ります。横隔膜どころか声帯を使わない言語という言い方をする人もいるくらいに、口の前の方だけしか使わないで済むんですね。

 

一方、欧米などの言葉は、横隔膜をしっかり使った喉の奥からの発声なんです。ですから、英語には腹式呼吸をなんて言われるわけです。

 

※参考西洋の発声 和の発声 2

 

日本人は全身を使って発声することに、全く慣れていない。欧米人はいつも全身を使って発声しているということです。

 

 

と、この二つの問題から、日本人は音の捉え方が、(口先だけで喋る)言語のように受け取ってしまっている上に、普段から口先しか使ってきていないので、発声が大事だとしても、全身にエネルギーを通すための発声に対するイメージがうまく湧かないんです。

 

 

ちょっとお話が逸れますけれど、日本人はモノマネと言いますと、誰か有名な人の喋りをマネします。ところが、欧米などの人はほぼ動物の鳴きマネ。それも、本当に上手!

日本人にとっての動物の鳴き声は、ニャーとかワンワンといった言語になってしまいますけれど、欧米の人たちは、そのような言語化をしない、本物そっくりの音としての鳴き声なんです。

一般的な日本人では、欧米の人のような鳴きマネは出来ません。口先での発声では本物っぽくならないんです。

受け取るものが異なれば、アウトプットも変わってくる。そんなことを教えてくれる良い例かと思います。

 

 

といったようにですね、「息を止めないで」の対策としてと同時に全身にエネルギーを通すための喉の開けっ放し、その喉の開けっ放しをしっかり実感するためにオススメしている発声が、このようなことで、日本人には難易度が高いものになってしまっているんです。

 

よく「腹から声を出せ」と言われますけど、それだけ難しいということです。

 

実際、声のワークでも、音として出してほしいところを、多くの人が声にしてしまいます。

動物の鳴きマネに通じるものがあり、前回言及しましたキンキン声の人は特に、音になりづらく、どうしても声になりがちです。

 

これでは、なんだか私たち日本人は残念な気持ちになってしまいますよね。

 

ですから、そんなこともありまして、これまでの声のワーク以上に、しっかり音としての発声が出来るようになるための方法を編み出したわけです。

 

日本人には不利であるけれど、不利というだけで、出来ないということではありません。

まずは、活用し得る発声がどんなものかを知ることから、ですね。

 

 

 

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「息を止めないで」って言われてどうしてますか?

エクササイズ、トレーニングの最中に「息を止めないで」って言われることありませんか?

 

で、慌てて息を吐いたりして・・・でも、、、

 

でもですね、

指摘されてから息を吐いても遅いと思いませんか?

 

すでに息を止めていたってことですよね?

 

どうしたらいいのか?

 

 

答えは、声。

発声なんです。

 

 

私が本格的に人生をマイム一本に絞った時に、毎日のトレーニングで大事にしていた中の一つが、息を止めないことだったんですね。

 

その当時は、まだ発声というアイデアではなかったのですけど、息が止まってからでは遅いのは間違いないわけですから、息が止まらないように、つまり喉を締めてしまわないようにすればいいと思ったんです。

 

そう、喉を開けっ放しにしておく、です。

(安易といえば安易ですね 笑)

 

 

息が止まってしまうことは気がつきづらいですけど、喉を開けっ放しにと意識しておきますと、もし喉が閉じた場合、それは気がつきやすいんです。

 

ですから、息を止めてしまいそうな負荷の高いトレーニングの時ほど、より喉を開くようにしていました。

 

息を止めないようにするというのは、頑張りづらい。何をどう頑張ったら息を止めないでいられるのか、よく分からなくありませんか?

喉をどんな時も開けておくって、頑張りやすい! 開けておけば、止まりようがない。分かりやすい!(笑)

 

「息を止めないように」のような「〇〇をしないように」というのは、意識しづらいんですよね。

「力まないように」も同じですね。

頑張ってはいけない感じのものを頑張るって、矛盾が生じますよね。

ですから、頑張っても良いもの、頑張れば頑張るほど効果が出るものを意識するわけです。

 

とまぁ、そういうことで、「喉開けっ放し」は今も続く重要なキーワード。

これ抜きに、張力も隙間もあり得ません。つまり、喉を閉めていてはエネルギーの通りようがないのです。

 

 

さて、その喉を開けるという感覚を、より実感出来るようにとオススメしているのが、声、発声なんです。

 

喉を締めてしまいますと、途端に声がおかしなことになりますし、どう頑張るとより喉が開くのかが、発声の感触で分かります。誰かに指摘されなくても、自分で声の感じから分かります。

 

この指摘されなくても自分で分かるということが、とてつもなく重要でして、声は自分で出しているにも関わらず、第三者的に聞くことが出来るので、黙って喉を開けるという筋肉だけの感覚よりも、使い勝手がいいんです。

 

 

もちろん、ただ声を出せば良いものではありませんで、やはり通る声。大声ではなく通る声が望ましい。(この辺りのことは、拙著でも度々取り上げています。)

ということで、「遠吠え」をオススメしてきたんです。

 

 

それでも実は、声のワークを長いことやってきて分かった、重要なことがあるんです。

それは、ただ声が通れば良いというわけではない!?

 

通る声にも、2種類ありまして、ひとつは単に物理的に通る声。もうひとつは心に届くような通る声。

 

前者の単に物理的に通る声といいますのは、大声とは異なるのですけど、いわゆるキンキン声です。やけに響く耳に障る攻撃色の強い声ですね。

これは、一見お腹から声が出ているように思えるんですけど、実は全く身体が使えていなくてですね、首から上だけ、頭蓋骨といった硬いところだけで響かせているんです。

 

一方、後者の心に届くような通る声といいますのは、首から下の胸やお腹といった柔らかな身体組織が使えている声です。(同時であれば、首から上の硬いところを使っても大丈夫です。)

 

もちろん、後者の方が難しい。特に前者タイプの人にとっては、(単に物理的にとは言え)通る声が出せてしまうだけに、首から下を使った発声の難易度は、一般の人よりも高くなってしまいます。

 

と、単に発声さえすれば良いということではないのですけど、それでもほとんどの人にとっては非常に有効であるのは間違いありません。

 

もちろん、私も発声のワークを常に進化させ、首から上だけ発声の人でも、間違いなく首から下を使えるようにと研究し続けています。

 

(おかげで、私の発声自体も質が高まり、身体の内部感覚がより繊細で強くなっています。当然、その分だけエネルギーの通の質も上が理、放出の広がりも大きくなっています。)

 

そして、ついに身体の最深部から響かせるということを、かなり簡単に可能とするワークが出来上がりまして(下記ワークショップ情報で)、必要な方に届けばいいなぁと思っているところなんです。

 

声といいますと、一般的には歌や芝居、あるいは朗読など、何かしら特定の目的があって、その訓練をすると思うんですけど、それではもったいない!

 

「息を止めないで」って、何度言われても、また同じことを繰り返してしまう、そんなことがないように、声を有効に利用してみてはいかがでしょうか?

 

発声は誰にとっても訓練するに越したことはない、非常に価値の高いもの。しかも、声が出ると、嬉しいし楽しい! それだけで自信になったりします。

喉を閉めていてはエネルギーが通りません。

歌わなくても、語らなくても、声に目を向けてみませんか?

 

 

 

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上手な力の抜き方・入れ方

力を抜く、脱力が大事だとはよく言われますね。

けれど、言うは易し行うは難し。

 

言葉の簡単さと比較して、実現が難しすぎる、その要因は、

リラックスという言葉に置き換えても、大体同じようなことですけれど、

力を抜くとは、適切な力が入っている状態にするということだからです。

 

力を抜きましょう、脱力しましょうと言われるのと、

適切な力が入っている状態にしましょうと言われるのとでは、

全く印象が違いますでしょ?

 

「適切な力が入っている状態に」って、皆目見当がつきませんよね?

それが出来たら苦労しないわけですから。

 

そこで、今回のお話は、どうしたら適切な力が入っている状態になれるのか?です。

 

力を抜き方ではなく、力の入れ方ですね。

 

 

さて、ここで大切な大きな問題です。

 

力を入れるのと、力が入っているのと、その違いは分かりますでしょうか?

 

「力を入れる」

 

「力が入っている」

 

 

これは、単なる言葉の違いではありませんで、身体的に全く違う状態なんです。

 

まず、そもそも力みとは何か?と言いますと、

余計な力が入っている状態です。

余計に力を入れているわけではありません。

 

つまり、無意識に、自分の意志とは無関係に勝手に力が入ってしまっているのが力み。

もう一方は、自らの意思で積極的に力を入れている状態です。

 

何かするときは、必ず力が必要になりますから、必要そうな力を自らの意志で積極的に入れつつも、

そのとき、無意識に、自分の意志とは無関係に勝手に不必要な力が入ってしまうわけです。

 

とこのように、力みが何か?を見ますと、「力を入れる」と「力が入っている」の違いは分かってくるのではないでしょうか?

 

 

では、適切な力が入っている状態になるには、力を入れたらいいのでしょうか? それとも力が入っている状態にすればいいのでしょうか?

 

答えは、実はすでに書いてありまして、「適切な力が入っている状態」という言い方をしていますように、決して「適切な力を入れている状態」ではないんです。

力を入れるのではなく、「入っている」にしたいんです。

 

言い換えますと、自らの意志で積極的に適切な力を入れるのではなく、無意識に、自分の意思とは無関係に勝手に適切な力が入ってしまうようにしたいということなんです。

 

そんなこと出来るの??

だと思います。

 

無意識に適切になんて、それが出来たら苦労しない!って言いたくなりますよね。

 

 

もちろん、出来るんです。むしろそうでないからこそ、常に適切ではない力が入ってしまうんです。

どういうことか?

色々と動いている最中に、どの時点でも適切な力加減って、自らの意思で可能だと思えますでしょうか?

全くもって不可能ですよね。

自動操縦的に、野生動物のように、身体が勝手に力加減を調整してくれませんと、どうにもならないんです。

 

昨日の肩甲骨のワークで、

「私、お腹のこの辺りに力を入れるのが苦手なんですけど、勝手に入ります。」

と発言された方がいました。

 

といったように、身体といいますのは、必要なこと(ここでは肩甲骨の位置みたいなものの調整)をしてあげますと、勝手に必要な力が入るようになっているんですね。

 

それを無視して、体幹は大事だからなどと、自らお腹に力を入れてしまったりしますと、身体の使い方のスタート地点で間違ってしまうわけです。

適切な力加減にはなり得ないということですね。

 

力を入れるのではなく、力が入っている状態といいますのは、間違っている場合には力みとなりますけれど、

肩甲骨などの骨格の調整に伴って生じる場合には、良い状態と言えます。

(その勝手に入ってしまう力を抜いてしまうと、調整した骨格の位置関係が崩れてしまい、維持できなくなります。)

 

 

今回のお話の主題であった「適切な力が入っている状態」とするには、このように、基本的には骨格の位置関係の適正化が、ひとつ大きな鍵になるわけです。

力を抜く、脱力が大事とはいえ、力に注目してしまうと難しくなってしまう理由もはっきりしましたよね。

 

 

最後に。

骨格の位置関係の適正化といいましても、いわゆる良い姿勢ということではありませんし、色々と動いている最中に、どの時点でも適切な位置関係を維持し続ける必要がありますので、理解を深めることとと身体的な訓練が必要なことは言うまでもありません。

少なくとも、このような理解の下で運動やエクササイズ、日常生活をしていただければと思います。

 

 

 

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癒しか? 慰めか?

アートや表現という行為には癒しの効果があります。

 

その癒し効果に対して、意識的か無意識かは人によると思うのですけど、真の癒しになるのか?それとも単なる慰めなのか? というところは大事なのではないかと思うんですね。

 

私のアートマイムのクラスには、癒しを求めてやってくる人はいないのですけど、ある種の踊りのワークには一定数集まってくるようです。

私の仲間で踊りのワークをしている人は「そうなんですよね・・・」と嘆いていましたし、昔々、私が参加した踊りのワーク(全6回だったかな?)にも、やはり一定数いました。

お会いしことはないのですけど(有名な?)踊りの方も、そういった状況を(旧)ツイッターで嘆いていたりするんです。

 

 

なぜ嘆くのか?

癒しを求めてはいけないということではないと思うんです。

それが真の癒しにつながるものではなく、慰めを求めているに過ぎないからなんです。

 

癒しと慰めは、何が違うのか?

 

今どきの自己肯定感にも繋がってくる問題だと、私は思っているのですけど、慰めはただひたすら、「いいんだよ」の世界。自分を肯定してくれるもの・人・言葉は、気持ちいいですよね。

本当にひどく弱っているときには、慰めは重要な役割を果たしてくれると思います。まずは安心感ですから。

 

この慰めに対しまして、癒しには、一種の自己否定が含まれています。この自己否定とは、今現状の表面的な自己の否定。つまり真の自己に出会うことが癒しであり、そのためには今の自分が自分だと思い込んでいる、その表面の自己から焦点をずらす必要があるんです。それが一種の自己否定。

ただし、その表面の自己を必ずしも否定する必要があるわけではないんです。何も破壊することはなくて、その奥にある真の自己に気がつけば、見えればいい。

ですから、癒しとは、自己を肯定してくれる「いいんだよ」という慰めを、同時に持ち得る世界なんです。

 

一方、慰めには、真の自己がいないんですね。単に表面的な自己だけを扱ってしまい、自己否定がないので、気軽なんです。で、そのような気軽さの分だけ、何も解決してくれませんから、ずっと慰めを求め続けることになる。

分かりやすいですよね。

 

癒しに慰めが含まれているのは、安心感があるからこそ、その場から離れることが出来るということがあるからです。

 

ですから、アートや表現のワークに参加するきっかけとして慰めがあるのはいいんですけれど、真に癒しを得るには、慰めから離れる必要があるということなんです。

 

では、どうしたらその真の癒しというものが得られるのか?

 

答えは簡単ですね。

 

冒頭の「アートや表現という行為には癒しの効果があります。」ということ。

 

アートや表現という行為には癒しの効果があると、たとえ無意識にでも分かっているからこそ、慰め・癒しを求めて参加していてるんですものね。

わざわざ、私が答えを言わなくても、本当は分かっているはずなんです。

 

表現と真正面から向き合うことが、癒しになるわけです。

 

それは言い換えますと、癒しすら求めないからこそ、癒しが得られるといことでもあります。

 

 

でもまぁ、ここが辛いんですよね。

「虎穴に入らずんば虎子を得ず」みたいなものですものね。

 

 

ところで、どうしてアートマイムのクラスには、癒しを求めてやってくる人はいないのか?

 

これも、答えは簡単でして、現実的な動きの稽古をするからですね。

 

ある種の踊りやアート、表現は慰めが許されそうな雰囲気がある、言い換えますと、現実を見なくて済みそうなので、敷居が低い。けれど、アートマイムにはそういった慰めがなさそうに見えるんでしょうね。

 

それでも、面白いことに、エネルギーの通し方を学ぶことが、結果、癒しになっているんです。

なぜなら、エネルギーが通るとは、真の自己と身体が別物ではないと体現できている状態だからです。ですから、瞑想と同じ状態だと驚く人は多い。

クラスにも、「生き方に繋がる」と感じ取れる人が多くいることにも表れていますね。

 

 

 

最後に。

アートや表現という行為に癒しの効果があるのは、真の自己と行為に境がなくなる、真の自己と行為が一体化するからだと思うのです。

 

癒しの入り口として慰めきっかけも良いと思います。

そこから真摯に表現に向き合っていけますと、癒しを求めていたことをいつの間にか忘れ、気がついたら癒されていた、ということになるのではないでしょうか?

 

 

 

間近です! 

アートマイム公演 3月15日(金) 19:30~20:30   

 マイミクロスコープ 〜夜のアートマイム劇場〜

 

今回は新作2本。ぜひ!

 

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良い動きとされる “手応えのない動き” をどうやって身につけるか?

良い動きになっているときは手応えがない。

 

武道系のものではよく耳にする言葉ですね。

 

相手を押すでも投げるでも、上手くいっているときほど、手応えがない。

自分は何もしていないのに、相手が勝手に跳んでいってしまうみたいな感じです。

 

では、これ、指導者は本当に手応えがないのでしょうか?

ないとしますと、どうやって再現しているのでしょうか?

 

 

普通の人は、その良い動きが1回2回出来たからといって、何度でも自由に再現出来るわけではないですよね?

何しろ手応えがないわけですから、何を頼りに動けば良いのか?ですものね。

 

一般的には、この手応えのなさの再現度を高めるために、(そもそもは手応えのない良い動作を導き出すために)「力を抜きなさい」となります。

 

ですから、力を抜くことでの成功体験を味わいますと、これか!と思い、力を抜くことへの意識がさらに強まります。

それで、さらに上手くいく場合もあれば、ダメな場合もある。

 

さらに上手くいって、そのまま身についてしまえば、それはそれでいいですけど、そうなる人は少ないと思うんです。

 

手応えのないものの再現性を高めるのは、簡単ではないですよね。

 

ところで、私は普段の指導で、あまり力を抜きなさいみたいなことは言わないんです。

もちろん、いくらかは口にしますけれど、キーワードにはなっていないんですね。

(あくまでエネルギーを通すことが重要なので)

 

なぜか?

 

それは、力を抜くことで上手くいったとき、あるいは手応えのないのが良かったというとき、それは、これまで知覚できていなかったところが働いているからであって、力を抜くことはキッカケにすぎないからなんです。キッカケです。

これまで機能していなかったところが、働いたからこそ、良い動きになっている。けれど、その機能を知覚出来ていないので、上手くいっている理由が分からないんです。そこに、力を抜きなさいだけでは、再現性が低いと思うんです。

 

 

手応えを感じられないというのも、同じことですね。

これまで機能していなかったところが働いたにもかかわらず、その機能を知覚出来ていないがゆえに、手応えを感じられないわけです。

何もしていないのではなく、知覚出来ていないことが、身体に起きているんです。

 

上手くいったりいかなかったりと再現性が低かったり、徐々に元に戻ってしまったりするのは、知覚出来ていないことが、根本原因なんです。

 

一度上手くいって、そのまま上手くなってしまう人は、頭ではよく分かっていなくても、身体がその知覚をはっきりと認識しているのだと思います。

 

言い換えますと、その働いてくれた機能を知覚出来れば、手応えを感じられるんです。

そうしますと、再現性を高められるんです。

 

 

ただ、一度上手くいって、そのまま上手くなってしまう、そういったセンスの良い人は別としまして、そうでない人は、何度も何度も指導者の手解きで良い動きを味わわせてもらうことで、必要な知覚を身体に認識させていく必要があるわけで、自分では稽古のしようもなく、当然かなりの長い時間を要しますよね。年単位。下手をしますと、一生分からないまま。

 

 

そこで大切なのが、頭でその知覚を認識することなんです。

 

とは言いましても、自分の力だけで認識するためには、日頃から身体を繊細に扱うことをしておく必要がありますので、私が指導する場合には、まず自分の身体を観察をしてもらうんです。

それをしているとき、自分のお腹はどんな感じか? 力が入るのか? 変わらないのか? 抜けるのか? などなど。

多くの人は自分の身体を観察する習慣がないので、変化に気がつきづらいわけですけど、観察する部位を絞ることで、変化を感じ取れるようになります。

 

あるいは、私のお腹を触ってもらったりして、変化を感じ取ってもらいます。

どういった変化であるのか?見当がつきますと、自分の変化にも判断がつきやすくなります。

その上で、あらためて自分のお腹に触れながら、変化を観察してもらいますと、より分かりやすくなります。

 

もちろん、言葉でのやり取りもしながら、起こり得る変化に対して意識的に目を向けてもらうんです。

 

この際、ひとつ気をつけないといけないことがあります。

 

それは、例えば、お腹に力が入るのだと分かったとしましても、お腹に力を入れるわけではないんです。それをしようとした時、お腹に力が入るかどうかを確認するんです。あくまで、結果的にお腹に力が入るかどうか?なんです。

お腹に力が入らないようであれば、やっていることが違うということですから、別の意識でやってみるようにするんです。

 

こうしていきますと、自分が何をしたらいいのかが分かってきますね。

(ですから、何を意識すると良いのかは、人それぞれ。)

 

つまり、機能の再現が可能になる!

 

そうしますと、当然、知覚されるわけですから、手応えを感じます。

(例えば、お腹の力を感じられます。)

 

その手応えは、良い動きができる前に考えていた手応えではありません。

新しい感覚としての手応えです。

知覚出来ていなかったときには、感じられなかったものが、はっきりと感じられているという手応えですね。

 

自分の動作感覚で動いていたのでは、いつまでも良い動きにはなりません。

今回のお話のように、良い動きとしての手応えのない動きは、自分の動作感覚を基にしていたのでは、いつまで経っても手応えのない動きでしかありません。

良い動きの動作感覚へと書き換えていけるといいですね。

 

最後に。

くれぐれも注意して下さい。知覚は単に手応えに過ぎませんから、知覚の再現ではなく、機能の再現です。 

 

 

 

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