オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

その指導は、他人に人生を預ける人を生み出している?

世の中には、

「教えない指導」をする人がいますでしょ?

 

 

これは、教わる人と学べる人のふるい分けをしているわけです。

 

今回は、前回のお話の、教える側版です。

 

 

私は、(特に定期クラスでは)参加者が教わってしまわないように

しているのですけど、

「教えない指導」とはちょっと(だいぶ)違いまして、

可能な限り、物理・運動学的な側面や解剖学のこと、

どんなイメージを持つと有効かなど

丁寧に伝えようと心掛けています。

 

また、ある動作が出来るようになるための、

別の少し楽な動作を提案することも多いんです。

 

自分で言うのもあれですけど、

この辺りの発想力、臨機応変さは、

かなり豊かで、相手に寄り添う力は大きいと思います。

 

 

けれど、

教えれば出来るようになる、

 

とは思っていないんです。

 

 

最後は、本人が掴み取るしかない。

 

 

形を教えているわけではなく、

エネルギーの通し方を伝えていますから、

本人が、分かるしかないんですよね。

 

教えられないことを分かっているので、

どれだけでも丁寧に教えられる。

 

そんな感じです。

 

もちろん、丁寧と言いましても、

あまり細かく教えると、

かえって混乱させますから、

それは、相手・状況を見て良い塩梅で、です。

 

 

 

一方で、

出来ているかどうかを、やたらに確認する人には

あまり教えたりはせず、

自分の感覚に目を向けるように促します。

 

 

「教わってしまう人」を

生み出すことだけはしたくないんです。

 

 

そもそも、聞く必要を感じているうちは、出来ていませんから。

 

 

とまぁ、結局のところ、

私のクラスでも、

教わる人と学べる人のふるい分けは行われていまして、

学べる人が多くなっているんですね。

 

 

これが、

教えられると思っている指導者の下には、

当然ですけれど、

教わる人が集まってきます。

 

ですから、もし、自分の生徒さんに

本当は学び取って欲しいのに、

教わったことをしていれば間違いないと

思っている人が多いなぁ

と感じるような場合には、

 

生徒さんのあり方ではなく、

自分の考え方に目を向ける必要があると思うんです。

 

 

思うのですが、指導というのは、

教わったことを教えるのではなく、

(自分が)学んだことから

(生徒さんのほうで)学んでもらうようにすることが大事なのでは?と。

 

 

少なくとも、私のクラスでは、

他人に人生を預ける人を生み出すのではなく、

自分との向き合い方を自分で学んでいく人が

生まれていく場になっていて欲しいと思っています。

 

 

 

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【ワークショップ情報】
      

覚えるのをやめませんか?

学んでいるのか?

 

教わっているのか?

 

 

 

あるクラス生、歌を習っていまして、その歌の先生から

「なにげに課題をクリアしてくるよね」

と言われたと。

 

本人曰く

「(JIDAIの)足の丹田WSのおかげ」と。

 

 

このように、専門家の先生から学ぶだけでは、

越えられないものがあるんですよね。

もちろん、専門家にしか伝えられないものもあります。

 

と、こんなちょっと前にあったエピソードを

紹介しましたら、

 

 

最近、クラスに参加するようになった人が、

 

「これ、思います。

身体が楽器の歌歌いには

身体の専門家が必要だなぁと思います。

私もjidaiさんのWSで得られた事を

絶賛お歌に還元中です~」と。

 

Facebook上でのやり取りなので、

ご覧になった方もいらっしゃるかと思います。)

 

 

私のところには、このように一見全く関係なさそうなものを、

自分の何か別のところに転用と言いますか、

活かしている人がほとんどなんですね。

 

 

つまり、学んでいる人がほとんど、ということなんです。

レッスンで取り上げたものを

「1対2とか3、4」で扱っているわけです。

 

 

これに対して、教わってしまう人は、

「1対1」でしか、受け取れないんですね。

 

 

それは、つまり

「絶対の正解」

を得えようとしているのだと思うんです。

 

 

自分の外に正解があると信じている。

 

ですから、それを覚えようとする。

 

それは、他人に人生を預けていることになりますよね。

 

 

 

それに対して、学べる人は、

「正解」ではなく「素材」を得ているんです。

 

 

これが出来ませんと、

自分の人生を歩んでいる感触を得られませんから、

どれだけ立派なものを教わって身につけた気になっても、

漠然とした不安を抱えたままになってしまいますね。

 

 

学べていない人は、

覚えることをやめてみてはどうでしょうか?

 

覚えるのではなく、使ってみる。

 

 

 

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20万円のワークショップ!?

以前の私がそうであったように、

もちろん、今の私もそうですけど、

身体の使い方に関する教えって、

もっと、分かるもの無いの?

って思いませんか?

 

 

丹田と軸とか、

抽象的過ぎますし、

お尻を締めろといったものも、

締められるけれど、それで上手く行くようには到底感じられない。

単に動きづらいだけ。

 

 

そういった中で、不器用な私が試行錯誤して

それなりに辿り着いたものを、

レッスンの場で伝えているんですね。

 

要するに、昔の自分に教えてあげたい、

当時の自分が、心底ありがたいと思うであろうことを

伝えているわけです。

 

 

それは、単に感覚的なことではなく、

解剖学的な理論があり、

と言いつつも、

それほど解剖学で説明し過ぎずに、

感覚を呼び起こす方法なんですね。

 

 

もし、解剖学的な説明が正しかったとしても、

難し過ぎれば、多くの人は理解出来ないでしょうし、

医者並みに理解力があったとしても、

それで本当に動けるのか?

といえば、そんなはずはないんですよね。

 

 

一方で、ただ感覚だけ言われても、

それで出来るなら、とっくに出来るようになっているわけで。

 

前者も後者も、それぞれ優れた人は多くいるんですけど、

その中間と言いますか、

橋渡しをする人は、ほとんど見かけない。

 

 

だからこそ、以前の私も含めて多くの人が

あっちで学び、こっちで学び、

みたいになっているんだと思うんです。

 

で、そういう人にとっては、

私のような橋渡しが、大きな価値を持つんですね。

(自分で言うのも何ですが・・・)

 

 

以前、関西方面から格闘技系の学びのためにと、

わざわざ東京まで参加下さった男性、

後日、ワークショップ後の懇談会で、こんな発言を。

 

「あれ(足指ワークショップ)は、衝撃だった。

あんなこと、今まで誰も教えてくれなかった。」

 

「(受講料)1万3千円したけど、あれなら13万円でも行きますわ!」

 

 

また、今回の股関節・仙腸関節ワークショップでは、

舞(い)や合気道で、ずっと探究し続けている女性が

 

「これは20万円でも、教えてもらいたいと思う人いると思います。」

 

 

まぁ、聞いてる私がビックリ!なんですけど(笑)

 

 

とはいえ、

「ただ、探究していて、でも辿り着けないという人でないと、価値が分からないかも。」

とも。

 

 

私は、格闘技が出来るわけでもないですし、

舞も合気道も出来ません。

 

また、走るレッスンもしていますけど、

ランナーでもありません。

 

声のレッスンをしていても、

歌手でも声優でも役者でもアナウンサーでもない。

 

 

ですから、有り難みは感じづらい存在だと思うんです。

 

 

そもそも、橋渡し。

こっち岸と向こう岸の「間」ですから、

実体が見えづらいですよね。

 

橋渡しは、橋ではないんです。

橋でしたら、一歩一歩進んで行けますけど、

そんな橋は無いから、多くの人が苦労して、

で、しかも、向こう岸に辿り着けない。

 

 

 

橋渡しとは、

こっち岸と向こう岸を、くっつけてしまう。

こっち岸と向こう岸の間を、消してしまう。

 

 

向こう岸に渡りたいと、どれくらい思っているかで、

橋渡しに対する価値が変わってくるのでしょうね。

 

 

さて、

今のところ、20万円のワークショップの開催予定はありません(笑)

 

破格の値段でお待ちしております(笑)

 

 

 

 

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「見る」ことを使えるように

真面目に、一所懸命取り組んでいても

動きがなかなか良くなってこない人に、

共通していることがあります。

 

それは、

 

手本を見ない

 

です。

 

 

手本を最初に少し見たら、あとはひたすら

自分がどうやったら上手くいくか?

になってしまうんですね。

 

きつい言い方をしますと、

自分勝手な動きの中で、こねくり回してしまうわけです。

 

 

では、よく見るようにと促せば良いか?

というと、事はそう簡単ではないのです。

 

 

見ない人というのは、

見ることの意味が分かっていないんです。

 

手本を見ながら、

体は動かさずとも、動いているように神経を働かせる

であるとか、

全体の雰囲気を掴み取る

であるとか、

分析して頭で理解しようとする

といったことをしないんですね。

 

ですから、仮に長い時間見たとしましても、

ただ時間が過ぎていくだけになってしまうわけです。

 

絵を描くことに置き換えますと、

分かりやすいと思います。

 

 

「このコップを描いて下さい」と言われて、

けれど、そのコップをすぐに引っ込められてしまったら

どうでしょう?

 

「え?置いておいて下さい!」となりますよね?

 

けれど、手本を見ない人というのは、

気にせず、描いてしまう。

 

書道(書写?)でも同じですね。

手本をチラッと見ただけで、書くようなものです。

 

 

ですから、手本を見るように促して、

一時的に見る時間が長くなったとしましても、

すぐに見なくなります。

当たり前ですよね?

 

 

例えば、

「人の話をよく聞きなさい」と言われても、

「よく聞く」というのが、どういうことかが分からなければ、

ただ、黙って(真剣な顔を装って)相手が話し終わるのを待つだけで、

またすぐ、聞かなくなって、

何度でも同じように「人の話をよく聞きなさい」と言われる。

 

そんな感じですね。

 

見ることを、自分の身体感覚に置き換えようとしないわけですから。

 

これは自覚するしかない。

 

で、実際に面白いことがありまして、

あるクラス生、以前はそれほど私の手本を見ていなかったのですが、

数年して、ある時からすごく見るようになったんですね。

 

(私がたまに言う「よく見ろ」が効いたのか?

自分で何か思うところがあったのか?

定かではありませんが・・・)

 

そうしましら、やはり、動きがどんどん良くなってきたんです。

 

では、どれくらい見るようになったか?

ですけれど、

最初に見せる見本は、当然誰でもみんな見ます。

で、その後、繰り返し練習してもらうのですが、

その途中で、私がまた手本の動きを、みんなに混じって行なうんですね。

なんとなしに、です。

 

そうしますと、多くの人は、私のことはあまり気にせず、

練習を続けるのですが、

その人は、自分の動きを止めて、じーっと私を見ているんですね。

そして、また動き始める。

 

私は、「自分の練習を一旦やめて、見るように」

とまでは言っていません。

 

それは、形だけそんなことをしても意味が無いと思うからです。

 

けれど、そのクラス生は、そうするようになり、

そして、進歩が早まったわけです。

 

 

「見る」ことを使えるようにする。

 

今回はちょっと厳しいお話だったかもしれませんね。

 

 

 

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アートマイム最新作

ここのところずっと、舞台作品を動画で紹介していなかったのですが、

最新作を、映像用に編集してみました。

 

実際には全くの無音での上演。 映像作品として、音をつけました。

作品タイトル『作品No.2』も、「無題」ということです。

 

 

 

 

 

次回は、3月24日を予定しています。

 

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カラダの中でのバケツリレー、上手く出来てますか?

身体はひと繋がりの塊ですけど、

ひとつにまとまったものとして動くことは、苦手なんです。

 

これ、とっても大事な認識。

 

ですから、走っても脚ばかりが頑張ってしまったりするんです。

もちろん、ただ歩いている時も、同じなんですけど、

気がつきづらいだけですね。

 

いやいや、ただ立っている時ですら、同じなんです。

それこそ、気がつけないだけ。

 

そいういうことが積み重なって、

どこかに痛みが出てくるわけです。

 

で、それを歳のせいにするのですね。

 

もちろん、歳のせいです。

長年、悪い使い方をしてきた結果です。

 

衰えではありません。

 

 

ということは、

筋トレしたりストレッチしたりすることは、

解決にはなりませんよね?

 

 

身体を部分的に使わないで、

ひとつにまとまったものとして動けるようにしていくことが

重要ということなんです。

 

 

ひとつにまとまって動くとは、

負担を全身に分散させることでもあります。

 

 

さて、ここからが本題!

 

ひとつにまとまるには、その前提として、

各パーツがバラバラに分かれている必要があるんです。

 

分かれていないままに、まとめようとしましても、

それは絶対的に不可能!

 

 

例えば、10人でバケツリレーをするとしましょう。

 

ひとりひとりが、順番に受け渡していけば、問題ないですよね?

 

けれど、途中で3人が押しくらまんじゅうのようにくっ付き合っていたら、

どうでしょう?

 

その3人の中で誰が何をするのか、もめてしまいますでしょ?

仮に3人の話し合いがうまくいったとしましても、

(そもそも、話し合いがうまくいったらという仮定ですら、

おかしいのですけど、)

バケツを運べる距離はどうでしょう?

 

ひとりひとりが、順番に受け渡すグループよりも、

どうしても短くなってしまいます。

同じ距離にするには、

固まった3人がくっ付いたまま、3人分の距離を移動しなければなりません。

 

いずれにしましても、全体が上手く機能するためにまとまるためには、

骨や筋肉など、様々なパーツがバラバラになっていて欲しいのです。

 

 

力を抜くとは、ある意味、パーツをバラバラにするということなんです。

そして、力を発揮するとは、まとまるということなんです。

 

 

これは、身体の使い方だけではなく、頭の使い方とも共通しています。

 

 

何か問題に当たった時、中身を一度分解して解決策を探るのか?

 

分解せず、最初から最後までずっと全体を見ているか?

 

 

どう見ましても、分解した方が良い解決策が出そうですよね?

しかも、楽に。

 

分解せずに解決策を探るというのと、

身体のパーツを分けることなく、力を抜こうとするのと、

似ていると思いませんか?

 

とはいいましても、

パーツを分けるってそれなりに大変。

 

そこで、「すきま」を作りましょうとなるわけですね。

 

「すきま」が身体をひとつにまとめるのに役立つと思うのです。

 

「すきま」にエネルギーは流れる。

 

身体の中で、押しくらまんじゅうしているところ、減らしましょう!

 

 

 

 

 

 

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呼吸とフロー

呼吸をどうするか?

 

クラス、表現系では、呼吸を意識的に練習しますけれど、

エクササイズ系では、

吸ってぇ吐いてぇといったことは、しません。

 

そして、表現系のクラスでも、

あくまで表現としての「見せる呼吸」の練習であって、

身体(運動)的な意味での、吸ってぇ吐いてぇは、やはりしません。

 

 

といって、呼吸を無視しているのではなく、

むしろ、重視していているんです。

 

なんだか、クラスで行なっていることと、矛盾してますよね?

 

SNSで挙げたのですが

 

「呼吸で動く」というのは、

呼吸しながら動くということではなく、

動きが呼吸になっているということ。

 

 

これを実現することを重視しているんです。

 

また、これも以前から言っていることですけれど、

 

 

呼吸は“する”のではなく、“通す”

 

吸ってぇ吐いてぇは、“する”になります。

 

“通す”ことをしていれば、動きが呼吸になります。

 

 

 

吸ってぇ吐いてぇの“する”ですと、呼吸に切れ目が生まれてしまうんです。

吸うから吐くのところで、また、吐くから吸うのところで。

 

ここでエネルギーが切れてしまうんです。

弱点、盲点ですね。

 

当然、呼吸と言いますかエネルギーの流れが

ジグザク、ギッコンバッタンになってしまいます。

 

これでは、意識も動作もデジタルになってしまう。

 

と、そう考えるわけです。

 

 

“通す”こと、動きが呼吸になるということ、

それは流れの中にいるということ。

 

まさにフローですね。

 

 

 

 

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