オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

閉じた表現/開いた表現

「見せる」のか?

 

「見られる」のか?

 

 

随分、違いますね。

 

 

 

私はどんな芸術的な表現も、

デザインされているかどうかが

大事だと考えていまして、

 

けれど、

「芸術」という言葉と

「デザイン」という言葉は、

相性が悪い感じがしますよね?

 

 

 

 

 

私は舞台表現をしています。

それも「アートマイム」という名の下で。

 

アート・・・普通には芸術ですよね。

 

 

なんだか高尚そうです(笑)

あるいは、

お高くとまっている感じですね(笑)

 

 

けれど、私はよく

自分の作品を「デザインする」と言います。

 

 

と言いますのは、

私は「見せる」を選んでいるからなんです。

 

「見られる」ではなく「見せる」です。

 

ですから、デザイン。

 

 

 

「デザイン思考」という言葉があるように、

デザインといいますのは、

「構築」なんですね。

 

 

見た目をキレイにするということではないのです。

 

 

 

「受け手を想定して

 

物事を効果的に伝える方策をとること」

 

 

それが、デザインするということなんですね。

 

 

 

ただ、ん~、、、自分の舞台作品に限りますと、

伝えるためというと、語弊がありますね。

 

「自分事にしてもらえるようにするため」

の方が、いいですね。

 

 

まぁ、その辺りは一旦置いておきましょうね。

 

 

 

デザインで大事なことは、

ですから、

相手目線に立つということ。

 

 

芸術表現とは、真反対な感じですよね?

 

 

で、ここはとても重要なんですけど、

相手目線に立つことばかりに意識を向けてしまいますと、

「そもそも」が失われて、

なんだか表面的に受けの良いだけのもの

になってしまうんですね。

 

 

 

では、その「そもそも」って何か?

と言いますと、

 

 

芸術表現の場合、

自分の中の「真実」です。

 

「自分の視点」「世界の切り取り方」です。

 

つまり、物凄く個人的なことですね。

 

 

極端に言いますと、

個人性が高ければ高いほど、

良い

わけですけど、

 

 

個人性が高ければ高いほど、

他人には伝わりづらい、

非常に閉ざされた感じでもある

わけですね。

 

 

 

この閉ざされた感じの強い個人的なものを

そのままデザインせずに、つまり閉じたまま表現するという手

あるとは思うのですが、

私は、デザインすることで、開きたいですし、

開くことが表現だ、

という考えなんです。

 

 

ちなみに、

デザインせずに閉じたまま表現することが

「見られる」ですね。

 

 

ただし、「見られる」ような感じにデザインすることは

「見せる」でして、

私は大事にしています。

 

 

もひとつ、ちなみにですけれど、

デザインの仕方を間違えますと、

芸術表現ではなく、

ただの「主張」になります。

 

 

さてさて、話がまとめづらくなってしまいました(苦笑)

 

 

 

個人的、主観的世界の強さを持つ表現者

どこか「見せる」を悪く思い、

デザインを軽視しているかもしれません。

 

 

逆に、

主観的世界が無いままに、

デザインの力だけで、芸術表現をしている気持ちになってしまう

そんなこともあるかもしれません。

 

 

 

なぜ「見せる」のか?

 

どうして「見られ」たいのか?

 

 

表現する前の段階として、

考えても悪くないと思っています。

 

 

 

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