「体幹が強いと良い」神話は、
未だ崩れる様子はありませんけれど、
先日、SNSに挙げた、自分の言葉ですけど、
こんな言葉から、大事なことにふと思い至りました。
「安定・コントロールを手放した先の、
安定・コントロールを掴んでもらえたらと思うのです。」
多くの人は、この言葉の
最初の方の「安定・コントロール」のために、
体幹が強いと良いと思ってるのだと思うんですね。
ですから、しっかりとした筋トレや、バランスの悪いところでバランスを保つ
といったことをトレーニングするのだろうと。
もちろん、それはそれで意味のあることなんですけど、
それだけとなると、大きな問題が生じるんです。
なぜ、スポーツ選手が体幹を鍛えて良い結果が得られるのか?
(悪い結果になっている人もいるとは思いますが、ここでは横に置いておきますね)
それが、先のSNSで挙げた言葉に繋がるのですが、
こういった選手は
安定・コントロールを手放した先の、
スポーツ選手に限らず、誰でも動くということは、
重心の移動、重さを移動させることが、大事です。
単に腕や脚を動かしても、仕方ないわけです。
衝突してくるものが、人でも車でもいいんですけど、
同じ速さであれば、重い方が衝突力は大きいですよね?
逆に、どんなに重くても、動かなければ衝突力はゼロ。
痛くも痒くもありません。当たり前ですね(笑)
つまり、
バランスが取れた状態、安定・コントロールしている状態では、
力を外に影響させられないわけです。
どんなに頑丈なコンクリートの建物でも、
安定して立ってくれていれば、
真横に立っている私にかかる力はゼロですね。
けれど、バランスが崩れて私の方に倒れてくると、
とんでもないことになりますでしょ?
このような感じで、動けますと、
筋力ではなく重力・重さを活かせますから、
意外な大きなパワーが出るんですね。
ただ、人間とコンクリートの建物の違いは、
コンクリートの建物は崩れ始めたら、ただ崩れきるしかなく、
人間は、(姿勢を)立て直せる。
立て直せなければ、ただの転倒です(笑)
で、そこで、立て直すために、
体幹の強さが重要になってくるんです。
崩れ始めたコンクリートを再度まとめる力
と言えばいいでしょうか?
「転倒」的な動作こそが、
パワー・重心の移動を生む重要な要素。
その転倒が怖いが故に、安定・コントロールを欲するわけですけど、
その状態では、筋力以上の力は発揮できません。
本当の意味で体幹の強さを活かせる人は、
立て直しのために、その強さを活かし、
そうでない人は、転倒しないために活かしているんですね。
良い動きをする人は、目に見えて転倒という形でなくても、
「安定」を一瞬崩し、その(ほぼ同時くらいの)直後に、
また別の安定を得ているんです。
それには、それに応じた体幹の強さが必要ということなんです。
一方、そのような動き方の出来ない、いわゆる普通の人は
いくら体幹を強くしましても、そのような使い方は、
当然ながら出来ません。
変な話、そこに留まっている力が強くなるだけなんです。
動きが悪くなるということです。
もし、誰かがぶつかってきたとしまして、
留まっている力が強くなるだけの人は、
堪えようとして身を固め、それでも堪えられないと
よろけたり転倒したりとなります。
一方、立て直しに体幹の強さを活かせる人は、
(堪える力も強いでしょうけれど)
変に堪えるのではなく、そのまま素直に飛ばされ、
飛ばされた先で普通に立っているられることが
可能になります。
だいぶ、極端なお話になってしまったかもしれませんが、
概ね、大事なことは伝わったのではないかと思います。
「体幹が強いと良い」と、どう向き合うか?ですね。
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