前回からの続きです。
重みのあるところに目が向くというのはどういうことか?
例えば、面と向かって話をしている人が、
こちらに目は向けているけれど、
見ていないなと思ったことはありませんか?
これは、その相手の人のエネルギーがこちらに向かっておらず、
その人自身に向かっているから、ということはご理解いただけると思うんです。
その「エネルギー」を「重さ」「重み」という言葉に置き換えてみて下さい。
重みがこちらに向かうとは、ボールをこちらに投げるような感じですね。
重みがその人自身に向かうとは、ボールを投げずに手に持ったまま
といった感じになります。
ただし、実際にはボールではなく、ボールに相当する自分自身の重みの一部を
投げたり投げなかったりということになるんです。
例えば、面と向かって話をしている人が
こちらに俄然興味が湧いてきたりしますと前のめりになりますよね?
これは、その人の重みがたっぷりと移動してきたということです。
興味の無い話を聞くときは、自然と深く腰掛け、
ちょっと顔をそむけがちになりますけれど、
これも、自分の重みを移動させないよう、
自分の後方に置いていることの表れです。
で、人は人の重みがどこにあるかを、
無意識にでも意識的にでも感じ取っているんですよね。
心ここに在らずがバレるのは、当たり前ということ。
つまり、意識のありか、向かっているところには、
その人の重みが移動しているということですから、
例えば、何かに気を取られていますと、
その方向に重心が移動し、なんとなくそちらへ向かってしまうんですね。
スポーツや格闘技など対人競技では、
この辺りのやり取りが重要なんだと思います。
そして、表現ですけれど、
この重みをどう扱うか?が重要というわけです。
私がよく言う、キレイに動こうとするのは良くないとは、
重みが移動せずに、その人の中に留まっているからなんです。
「私がキレイに動いています」という表現にしかならないということです。
気持ちを込めるのも良くないと、いつも言っていますけれど、
これも、重みが移動せずに、その人の中に留まってしまうから。
で、さらに、重み自体をどこから生じさせるか?も大事でして、
これが、身体的には肚とか足元からになるといいんですよね。
スポーツなどで手打ちとなってしまうか?
全身で打つか?の違いのような感じですね。
そんなこともありまして、
表現力を上げるために、スポーツや武術的なことを多くやってもらうわけです。
そして、そのスポーツや武術的な動作の際に、力というよりも
(たっぷりの)重みを移動させる、つまりエネルギーを通すということを
大事にしてもらうんですね。
と、簡単ではありましたけど、
私のいつも言う「エネルギー」がいくらかでも
具体的に伝わっていればと思います。
身体の使い方、表現など心の使い方との向き合い方に、
エネルギーという考え方が役に立つことがあれば、
幸いです。