北極星を指針に航海するとして、
北極星に辿り着くことが目的でないのは、
誰でも分かる。
けれど、トレーニング(健康法も含めて)となると、
これを笑えない状況が多く生まれているのではなかろうか?
SNSに挙げた言葉です。
軟体人間になることが目的?
筋肉マッチョになることが目的?
均整のとれた身体が目的?
良い姿勢が目的?
ゆるめることが目的?
体幹を強くすることが目的?
目的ならばいいのですけど、
見た目を最終的な問題にしていない限りは
最終的な目的にはなり得ませんよね。
柔らかいほうが…
強いほうが…
ゆるめられるほうが…
良い姿勢のほうが…
今より、パフォーマンスが上がる!
(健康になれる!でも同じですね。)
そう思って、取り組んでいると思うんですね。
ところが、
その道に入ってしまいますと、
“そこでの” 高いパフォーマンスが目的に
なっていってしまう。
これは、本当に注意が必要。
その道の指導者は、
その道のプロ。
その道自体を目的とした人なんです。
あなたの目的とは違う道にいる人なんです。
一番大きな違いは、
「○○なほうが…パフォーマンスが上がる」
でいうところの
「○○」を、
その道の人は
実はもっていないんです。
例えば、柔軟性。
柔軟性を見せるようなポーズが、
人並み外れているからといって、
走ったり、投げたり、演奏したり…
といったときの、
高いパフォーマンスのための柔らかさは
持っていないんです。
ゆるめることも、筋力もみんな同じです。
ゆるめる動きのときには、
人並み外れてゆるんだ動きになるけれど、
素早い動きや、パワーが必要な場面で
ゆるめることでのハイパフォーマンスが
達成出来るわけではないんです。
「○○なほうが…」の「○○」を手に入れるためには、
このような、それぞれの道のプロの指導を参考にしつつ、
それが、本来の目的とどう繋がっているのかを
検証していく必要があるんですね。
その検証の際に最も重要なことは、
エネルギーを通せるかどうか?
です。
効率的に最終地点まで通らないようでは、
そのトレーニングを続ける意味はありません。
(最終地点とは、大抵の場合は手先か足裏になります。)
どうしても、その道のプロに教わることが多くなりますから、
つい、「トレーニングの達人」の道に入ってしまい、
「○○」自体のパフォーマンスを上げようとしてしまいますけど、
「○○なほうが…」を
「エネルギーを効率良く発生させ、通せれば…」
に置き換えて考えられるようになれると、
全く違うトレーニングが出来るようになり、
当然、当初の目的の
「今より、パフォーマンスが上がる」
が、本当の意味で、実現します。