オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

パントマイムウィーク3 公演作品から

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さてさて、いよいよ個々の作品のお話です。
公演時の上演順番は
『牛』
『蝶』
『ため息』
『声』

ですが、『蝶』からお話したいと思います。

この作品は今年の3月の舞夢踏による公演の際、アンサンブル作品として提供したものを、ソロ向けにしたものです。

何人かの方は、両方見られていると思いますので、今回のソロだけをご覧になられた方とは、ちょっと違った楽しみ方が出来たのではないかと思うんですけど、いかがだったでしょうか?

(このあたりの感想を、お聞かせいただけると楽しいんですけどね。)

ストーリーとしましては、「希少な蝶を(お金のために)捕まえる人が、蝶の大群に追われ、自分自身が蝶になってしまい、命(魂)が失われていく・・・捕らえられた蝶が、命を魂を奪われてしまうように。」といったところです。

で、ここで重要なことは、先にも書きましたけれど、ストーリーの理解ではありません。
お話の内容・筋を伝えるために、舞台に立っているわけではありません。

もちろん、単なるイメージみたいな、観念的なものを抽象的に表現しているわけでもありませんで、ストーリーも大概の方は分かると思います。

こんな感想を書いて下さった方がいらっしゃいました。

「舞台を埋め尽くすようなたくさんの蝶と、その鱗粉に息苦しさを感じつつ、蝶の強い美しさに惚れ惚れし・・・」

心で見ているんですね。
舞台上の登場人物を通り越して、その向こうで自分自身が体験しているんです。

別の方は、蝶の大群の恐さから、ヒッチコックの『鳥』を連想したとおっしゃってました。

(もちろん、蝶の大群を映像で見せるわけではありませんよ。)

私は、虚構の世界を、虚構のまま感じてもらうのではなく、自分のこととして感じてもらいたい。
今、その場で、現実として。

ですから、いつも思いますことは、単に「登場人物が怖がっているんだ」という理解のされ方では、面白くないということなんです。

仮に今回の『蝶』のストーリーが、分からなかったとしましても、登場人物にまつわる話が、それほどはっきり理解出来ずとも、蝶の美しさと恐さ、さらには儚さを感じていただけたらと思うんです。

(感じていることを、意識できない人は、結構いますけど・・・)

時間と空間を共有することが、目的と言っても過言ではありません。

ふ~ぅ。。おかげさまで、かなり多くの方に共有していただけたようで、『蝶』に限るわけではありませんけど、「不思議な空間にいざなわれ・・・終演後もぼーっとしてしまい・・・」という方も多かったようです。

そうそう、もちろん、この『蝶』のようなことは、実際あちこちで行なわれているわけで、希少な生き物をお金としてしか見ず、その他のなんでもない生き物は・・お金にならない生き物は、ごみ同然のように扱う・・・

こういった人は、人間としての魂を奪われているに等しいと思うんです。

こんなことで、お金を得ることに幸せを感じる、その寂しさといいますか、哀しさ・・・『蝶』に余韻を感じた方は、こんなところを、気が付いてか付かずか感じ取っていたのかもしれません。

『蝶』を気に入って下さった方、ありがとうございます。

(写真はタイトルとして使用したものです。また、前回の『公演の感想から』の写真を、『蝶』の一場面に変えておきましたので、よろしければご覧下さい。)