また少々、作品から離れてしまいますけど、私がポーリッシュマイムを通じて、それを習う人たちに身に付けてほしいことは、
心から動くことです。
もう一度、
心から動く・・・です。
全ての動き・形が内面の結果であるようにすること。
よく動く体と上手な(?)演技ではありません。
それでは、舞台上の登場人物のフィクションにしかなり得ません。
虚構の世界は虚構のまま、ということです。
観る人の心が揺さぶられることはありません。
(演じている姿は伝わりますから、その姿に感動することはあると思います。それは、舞台上で演じている虚構の人物を通して、演者本人の姿を観ているというわけです。)
心が揺さぶられる・・・演者の世界が提示されたことによるのではなく、演者の世界に引っ張り込まれたことによります。
舞台上から演者が消えたとき、そこに初めて真の世界が生まれる。
演者が見えたままでは、虚構の世界しか生まれない。
公演の感想にあった言葉です。
「動きが綺麗な分だけ、登場人物のグロテスクさや滑稽さを強く感じました」
この「動きが綺麗」といいますのは、いわゆる綺麗ということでなく、純粋ということだと思います。
雑味が無いといいますか、動きが心の表出を邪魔していない。その純度が高いということです。
これが、演者が消えるということなんです。
もちろん私もまだまだ、その純度を上げていかなければなりません。永遠の課題です。
ですが、私はかなりの程度、それを技術として伝えられます。ポーリッシュマイムを通じて。
なぜなら、私自身が技術として身に付けてきているからです。
心の技術です。
肉体の技術ではありません。
ですが、この心の技術は、肉体の技術以上に、習う側の意識の問題が重要になってきます。
真にその重要さに気が付かない限りは、どんなに頑張っても身に付きません。
そして恐ろしいことに(かしら?)、それはマイムのイリュージョンテクニックにも表れてしまうのです。
(普通には気が付かないですけど、何かが違うという感じで伝わります。)
感情表現でも、イリュージョンテクニックでも、体が先に動いてはいけないのです。
心が先です。
心が先に動き、体が後から動く。
だからこそ、動きに重みが生まれ、その重みに観客は引っ張られるのです。
心が引き込まれるのです。
心が先に動き、演者が消えると、観客は空間を見ます。一般的には、演者が大きく見えるということになります。
それが世界です。
観念の世界でありません。
「心が揺さぶられる・・・演者の世界が提示されたことによるのではなく、演者の世界に引っ張り込まれたことによります。」の世界とは、そういうことです。
提示する世界=観念の世界
引き込む力を持った世界=空間が見える世界、真の世界
心から動くことを、個人的な観念の世界ではなく、個の消えた真の世界をつくることを、ポーリッシュマイムを通じて学んでもらえればと思うのです。
私もまだまだ、ひよっこです。共に歩んでもらえたら幸せです。