オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

自由への道

多くの方にとりましては、身体の動きを習うといいますのは、目に見える形や、振り付け(順番)を覚えていく事になるんだと思うんです。

ですけど、私は形を習って欲しいとは思っていませんもので、人によっては、何の練習になるのか分からない、なんてこともあるんです・・・うぅ、、

何が重要かと言いますと、自分の身体がどう感じているかを、感じようとすることなんです。

自分の身体の動きに対する感受性とでもいいましょうか、運動神経ともちょっと違う、言うなれば、身体との対話。身体の声を聞くということ。

このことなくして、私のレッスンは成り立たないんです。

ですから、私のレッスンでは、極端な言い方をしますと、私の真似をすることに意味はありません。
私の言葉を、私の動きと照らし合わせ、自分の身体の感覚と摺り合わせていくことが、重要になってくるんです。

ですから、基本的に自分を見るための鏡は必要ないんですね。鏡を使いますと、感覚に目が行かなくなってしまいますからね。
もちろん、号令やらカウントやらもありません。

何かを教わる場というよりも、自分と向き合う場といったら大袈裟かしら?

馴れないうちは、身体だけでなく、同じかそれ以上に頭が疲れますから、相当にヘビーなレッスンといえるかもしれませんね。
馴れてはきますけど。

いくら、どんなに、形や動きがそれっぽくとも、その人自身の身体が感じていなくては、レッスンの成果があったとは言い難く・・・

けれど、自分の身体との対話がうまくいきますと、それははた目にも分かるんですね。ほんとにはっきりと分かるんですよ。

自分で分かるのはもちろんですけど、きちんと外に現れるんです。ですから、結果として、いい形・いい動きになるわけですね。

質が変わるんです。身体の質が。

何かのテクニックが身に付くとかどうとかいうことより、テクニックの質が変わる。

そして、身体の質が変わり、テクニックの質が変わることで、表現の質が変わる。

「表現の質が変わる」

重要なポイントだと思いません?

形を真似して身に付いたものは、フェイクです。フェイクは自分を縛りますけど、自分の感覚と向き合って身に付けたものは、自分を自由にしてくれます。

私は自分も自由になりたいですし、生徒・仲間にも自由になってほしいと思っているんです。

一見、ポーリッシュマイムという枠に、収めようとしているように思われるかもしれませんけど、決してそんなことはなく、ポーリッシュマイムの持つ力は、自由になる力だと思っているんです。

自由になるには、何か外側に身に付けることではなく、内側と向き合うことなんです。

もちろん長い道のりですけど、進む甲斐のある道だと思っています。