え~、公演の件ですけど、個々の作品についての前に、まず全体のことを、お話していきたいと思います。
実を申しますと(って、別に隠していたわけではないんですけど)、ソロ作品を作って演じるのは、今回が初めてです。
これまでは、グループ作品にばかり携わっていまして、しかも、自分が演じるということも、ほとんど無かったんです。
前回、去年の夏にひっそりとソロ公演をしましたけれど、非常に抽象的な作品で、見方によっては、ほぼ舞踏。
ですから、今回のようにいわゆるオーソドックスなパントマイムというものでは、初めてソロ作品を作り、自分が舞台に立つ、ということになるんです。
なぜ、いままでずっと、やってこなかったかと言いますと、まぁ、いろいろ理由はあるんですけど、ひとつは、技術・表現力が足りなかったから。
私はネタを見せる、お話を伝えるということよりも、私の身体が、動きが、物語ることに意味を見い出していまして、ですから、身体が発した後のものではなく、身体が発する前のものが、とっても大事になってくるんです。
う~んぅ、、、伝わってるかしら・・・別の言い方をしますと、形・動きが重要なのではなく、その形・動きを生んだ心・内面が重要ということなんです。
こういったことは、お芝居をされる方でも、踊り手さんでも、言葉ではそう言うと思います。
が、しかし、形・動きといった外側と、心・内面といった内側が、過不足なくぴったりと合うというのは、そう簡単なことではありません。
外側のコントロール、内側のコントロール、そのバランスのコントロール・・・観客は演者の身体を見ているはずなのに、内面だけがダイレクトに見える。身体が邪魔をしない状態。
身体でいろいろなことを具体的に表さなくてはいけないマイムであるのに、身体を見せない(感じさせない)ようにするわけです。
で、ネタやお話に重きを置かず、けれど具体的なことを伝えていきたいものですから、技術・表現力がある程度ありませんと、作品が成立し得ないんです。
その具体的に表すものというものには、もちろん感情も含まれますよ。
悲しみや喜び、いろいろです。
そして、そのとき大事なことは、悲しいときに悲しい顔をするのではなく、悲しみをたずさえた身体にならなくてはいけないということ。
嬉しいときに嬉しい顔をするのではなく、身体から嬉しさが溢れ、その溢れたものが顔に表れなくてはいけない。
顔の表情は一番最後。
まず身体の表情。
まぁ、顔に限らず、全ては目に見える形・動きではなく、形・動きの裏にある心を伝えることが大切。
私にとりましては、そのための動きを身に付けて、ようやく作品が成り立ってくれるというわけでして、言い方を変えますと、舞台から身体を消すことで成り立つマイムをしたいものですから、今回ようやく、人前でマイムをしても大丈夫かな?といった感じでありまして、初めてのソロ作品を作ろうという気持ちになれた、ということなんです。
分かっていただけましたでしょうか?
なんだか大袈裟ですけどね。