オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

指揮者とオーケストラのように

今日からクラスが始まります。


身体を動かすといいますのは、感性はとても重要です。


日頃、解剖学的考察を大事に、動きの話をしておりますけれど、
それだけでなんとかなるものではないですよね。



例えば、優しい感じを醸し出そうとする際、
動きのリズムやスピード、ポジションなど総合的に作っていく必要がありますけれど、
その総指揮者としての役割を果たすのが、
感性だと思うんです。



オーケストラの場合、
各楽器のチューニングが正しいことはもちろん、
演奏者がその楽器を使いこなして、きちんと演奏出来ることは大前提ですよね。

そして、様々な種類の楽器の演奏を、
指揮者が上手にコーディネートしていきますね。



このコーディネートは、単に順番をつなぐということもあります。
ある楽器から別の楽器へ。あるいは同時にいくつかの楽器演奏など。
それは、ある意味、楽譜通りということ。


で、その先に、表現としてのコーディネートがあるわけですけれど、
このコーディネートの際に初めて感性が必要になってくるのだと思うんです。



以前にもお話ししたかもしれませんけれど、
今の時代、この最後のコーディネート の力さえ良ければ、何とかなる
ようなところがあるように感じます。



確かに素晴らしい指揮者でしたら、
オーケストラの団員がどんな素人でも、楽器のチューニングが狂っていましても、
とても豊かな時間を作り出すことは出来るかもしれませんよね。


けれど、それは本当にその指揮者が望むものなのでしょうか???


時には、そういったことも楽しいと感じるでしょうし、そういったことにやり甲斐を感じる人もいるでしょうけれど、
素晴らしい楽器と演奏者が集まり、ひとつのハーモニーを作り上げていくということは、
格別だと思うんです。



身体も同じではないかしら?


各パーツがそれぞれの役割をきちんと果たせる状態で、
それらをまずは、第一段階のコーディネート、楽譜通りのコーディネートが出来るようにしておき、
最後にその人の感性がコーディネートの仕上げをしていく。


もちろん逆に、各パーツがそれほどではなくとも、
素晴らしい指揮者として感性をいかんなく発揮しつつ、
並行して各パーツの本来の役割を磨いていくということでもいいと思います。




いずれにしましても、表現していく際には指揮者としての感性の力は重要ですし、
同時に楽器のチューニングや演奏者としての力も重要。


身体の場合は、それが全部自分というのが、面白くもあり、もどかしくもあり、
といったところですね。




何を演奏したいのか?


どんな風に演奏したいのか?



課題は永遠に続きますね。