身体をひとつに使う ~身体表現と武術~
身体をひとつのものとして扱うというのは、本来当たり前に出来ている、という考え方があります。
確かに日常的な動作を無意識に行なっているときなどは、そういうことがいえるようです。
けれど、身体表現として(スポーツなどでも)意識的に身体を操作する際や、非日常的な動作をする際などは、
やはり身体はバラバラとなり部分的な動作に陥ってしまいます。
無意識で行なっていることを意識的に再現するというのは、簡単ではありませんよね。
どうしたらよいのでしょう?ですよね。
いい天気でした~
ところで、ポーランドでの国際芸術祭マイムワークショップを終えた後、
ステファンのカンパニーメンバーへの通常クラスを、2日間私が講師を代行することになりまして、
そこには、8年前まで日本での私のクラスに(1年か2年くらい?)参加していた女性がいるんですけれど、
彼女がメールで感想を送ってくれましたので、ちょっと紹介させていただきますね。
「・・・昔のレッスンは、重力や床への力を使って動きを1つにする印象でしたが、
8年経った今は
ひねりや関節をつまらないようにしたり、意識の置き所をはっきりさせることにより、
結果動きが1つになり、床への力が自然に生まれる、という方法になり、
8年間極め続けていらしたことを感じました。
このように身体を使うとエネルギーに隙間が無く・・・」
そうなんです、以前は身体をひとつのものとして扱うということを、何とか達成しようとしていた感じなのですけど、
今は結果としてひとつのものになるような練習法といいますか、意識の仕方が分ってきまして、
人にも伝えられ体感してもらえるになってきてるかな?と。
この身体をひとつのものとして扱うというのは、武術系の身体操作で非常に重視されるところでして、私はそこからいろいろと学ばせていただいています。
お話がちょっとそれますけれど、武術系の動きを身体表現の世界でそのまま使うわけではありませんよ。
そんなことをしてしまいますと、それは単に武術の動きを取り入れたに過ぎなくなってしまいますでしょ?
◯◯に◯◯を取り入れたといって、Aの中にBもあるというような、はたから見て分るような取り入れ方は表面的なバリエーションでしかないと思うんです。
そうではなく、AはすなわちBであり、BをAとして行なうといった感じで、私の中ではマイムと武術は共存しているんです。
とまぁ、そんなことで少しずつ身体操作法の理解が進みまして、先ほどの女性の感想につながったようです。
彼女はステファンのところに8年もいますから、ステファンの足元にも及ばない私のレッスンで、このように感じてもらえるのは、嬉しいというよりもまず、ほっとします。
何しろ、身体をひとつに使うといいますのは、私たち身体表現家にとりましては、
ひとえにエネルギーに満ちた表現をするためでありまして、
そのエネルギーの権化のようなステファンのレッスンを彼女は受け続けているわけですからね。
正直、彼女に限らずステファンのカンパニーのメンバーに、私のレッスンが通用するのか?というのは不安でしたし。。。
さて、
身体をひとつにということ、それは単なる身体操作の問題ではなく、
表現のための身体エネルギー、内面にも直結することですから、
この精度を上げていくこと、大事にしたいですね。
マイムから心と身体の平和を http://www.geocities.jp/mime_jidai/