「自分の体を自分だと思っていない。」
「自分の体を自分の所有物だと思っている。」
昨日の『ウェルネスミーティング2013』(主催 おくがわ整体院)
パネルディスカッションのテーマのひとつ
「増え続ける医療費を減らすことは出来るのか?」
で、こんなお話をさせていただきました。
(日本アートマイム協会会長として、声を掛けていただき、
パネラーとして参加させていただきました。)
死というものを、内面的なことではなく、肉体が機能しなくなることだと思っているのに、
その体を自分とは思わずに、所有物のように思っているのではないか?
ということなんです。
電化製品や車が故障したら専門の誰かに直してもらうように、
体に不調が生じたら誰かに治してもらう。
医者に診てもらい、薬に頼り、あるいは整体、マッサージ、鍼灸、(ヒーリングとかもかな?)
などで、不調な状態を解消してもらう。
たとえ運動をしていたとしても、
「○○をすると○○にいいですよ。」と言われるがままにやっているのだとすれば、
それも、結局同じ。
自分の体を他の誰か、あるいは情報に預けてしまっていて、自分では責任を持たない。
効かなければ、効果を感じなければ、他の誰か(情報)へと、鞍替えするだけ。
これを読んで下さっている方は、そうではないと思いますけれど、
それは、死を他人に預けていることにつながるでしょうし、
とすれば、生を他人に預けているといっても過言ではない気がするんですね。
もちろん、自分の体に責任を持つとうのは、決して他人に頼らないということではありませんよ。
出来る範囲で、取捨選択をして、たとえ効果が無くても上手くいかなくても、
他人のせいにしないということ。
当たり前といえば当たり前のことですよね。
昨日の会の中では、こんなに上手く喋ることは出来ませんでしたけれど、
共感して下さる方から多く声を掛けていただき、ホッとしました。
このあとに、続けてこんなお話もさせていただきました。
「体の不調を、自分と向き合うチャンスとして捉えて欲しい。」
例えば、膝を痛めたとして、それは体の問題として、股関節に問題があるのかもしれない。
あるいは心の問題として、何か行きたくないところに行かなければいけない、
というストレスがあるのかもしれない。
膝の痛みを取ることに意識を向けるのではなく、そういったことに向けてみるチャンスになりますし、
または、心と体の両面の問題として、可愛らしく見せたいと内股にしているとしたら、
可愛いって自分にとってどういうことなんだろう?と考えるきっかけになる。
自分の体が単に自分に悪さをする所有物ではなく、
自分の現れであり、自分自身なんだと思えると、
随分と変わってくるのではないかと思うんです。
体の不調を受け入れると、より良い体や心を得られると思うんです。
おおげさに言えば、
死を受け入れると、より良い生になるのではないかな?
ということなんです。
私自身の問題としても、向き合っていきたいと思います。
Body,Mind&Spirit 本当の自分の身体は天才だ!