オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

演出家ピーター・ブルック曰く「役者はアイデアや野心でいっぱいだと内部に余白がなくなる」

イギリスの巨匠演出家ピーター・ブルックが、こんなことを語っていました。


「舞台に多くを詰め込んでも、たいていは不要だとわかる。(中略)
役者も同じで、アイデアや野心でいっぱいだと内部に余白がなくなる」



そして、歌舞伎や能に学ぶことは多いと言い、


「演者たちは修道士に近い。彼らの稽古を見ましたが、
それは自らを静寂にすることであり、興奮したスペースを閉じること。
それを徐々に開いていくと、正しい所作や音が現れる」




ピーター・ブルックのこの言葉を目にしたのは、ちょうど、
私がマイムについて考え、こんなひと言をツィートした2時間後でした。



「自分の中の静寂」



何か、静寂というキーワードは極めて重要な意味を持つのではないか?
それも。自分が思っている以上に。



それで、慌てて(慌てる必要も無かったのだけれど笑)、
少し前にFacebookでシェアさせてもらった文章を、引っ張り出したんです。


それがこれです。



「静けさ」というのは無音の事ではないのです。
私達は世界の隙間を埋めていくような虫の音や、鋭いしし脅しの音や、川のせせらぎに
それを感じるのだから。


たぶんそれは身体感覚なのだと思います。
自分の中が澄み渡って遠くまでクリアに見通せるような、
晴れた秋空とか湧き水の泉のような少しひんやりとした感覚。
さまざまなものの輪郭が酷くくっきりとするのは
自分と知覚しているものたちが分離しているからで、
だから少し寂しいような気持ちがします。
静寂、というのはそういう事なのだと思いました。


今まで、静けさって世界の側にあるんだとばかり思っていた。
でも違う。たぶんそれは私の側にあるもの。



これは実は、私のクラス生である女性の言葉なんです。
静寂が目に見えるような感じがしませんか?



「役者がアイデアや野心でいっぱいだと内部に余白がなくなる」
と、静寂の大切さを言っていますのは、
この女性の言う、静寂とは
「少しひんやりとした感覚」
「自分と知覚しているものたちが分離」
だというのと、同じだと思うんですね。



イデアや野心でいっぱいだと熱そうですよね(笑)


余白があるからこそ、自分と知覚しているものたちが分離出来るといいますか、

 自分と知覚しているものたちが分離するには、余白が必要。
ぎゅうぎゅうに詰まっていますと、
「さまざまなものの輪郭が酷くくっきりと」はしませんものね(笑)




私は静寂というものが好きなんですね。昔から。


パントマイムに惹かれた理由のひとつだと思います。


けれど、パントマイムが言葉を使わないから静寂というのではないんですよ。
単に、私はパントマイムの持つ静寂性に惹き付けられたということ。




多くは自分の中に余白とか静寂を求めていないように思うんです。
むしろ、余白を埋めて欲しい。
静寂の”せ”の時も感じたくない。
ではないかなぁ・・・



これでもか!これでもか!と楽しませてくれるようなものや、
すっきりと答えの分るもの、容易に手に届くもの・・・
確かに魅力ですよね(笑)。楽しいですものね。


私だって、スイーツでしたら、余白なんていりませ~~~ん!!!
これでもか!これでもか!と楽しませてくださ~~~い!!!
容易に手に届くもの、、、ではなくて、
おいそれと手が届かないようなものがいいなぁ(笑)




・・・静寂のお話が、騒々しくなってしまいました。。。


まぁ、だれでも両面を持っているということで(笑)



さて、自分の中にある静寂、これを育て、
他人の静寂と響き合えた時(静寂なのに響き合うって、何だか変ですね)、
何かが生まれるように思うんです。


私がマイムをする理由のひとつですね。




Body,Mind&Spirit 本当の自分の身体は天才だ!




マイムから心と身体の平和を


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