“からっぽ” な感じ
“ぎゅっとした” 感じ
どちらのほうが、力が出ると思いますか?
どちらのほうが、惹き付ける表現になると思いますか?
先日のクラスの最中、
トレーナーを生業としている生徒さん
(通い始めて数ヶ月)が、
驚いたんです。
“からっぽ” な感じのほうが、
力が相手に伝わる?!
“ぎゅっとした” 感じだと、
自分に力は感じるけれど、
相手には伝わらない。
???ですよね(笑)
“からっぽ” “ぎゅっとした”
というのは、その人の感じ方、言葉の選択ですから、
必ずしも字面通りに受け取らないほうがいいとは思います。
私自身の感覚では、
この“からっぽ” に充実感を覚えます。
ある意味、“ぎゅっとした” 感じなんです。
ですから、少しばかりややこしいお話にはなるのですが、
極めて重要なお話です。
表現に関してですが、
この生徒さんのいう “からっぽ” のほうが、
観る人の心がすっと、演じている人の表現に入っていけます。
“ぎゅっとした” 場合、
演じる人の素を感じ、熱演は感じるけれど、
表現は入ってこないのです。
あまりに “ぎゅっとした” 感じが強いと
かえって、引いてしまいます。
“からっぽ” の中には
演者の真の自分が詰まっている。
あるいは、表現の神様がいる。
といえるかもしれません。
普段の自分、エゴ、我(が)が
詰まった状態が、
“ぎゅっとした” 状態。
“ぎゅっとした” 感じは、
本人には “やってる感” があります。
自己満足です。
“からっぽ” には、馴れませんと
“やってる感” がない、つまり
普段の自分がいませんから、
不安を覚えます。
“からっぽ” でないと、
エネルギーは通りません。
いつも言う、「すきま」に通じますね。
但し、気をつけませんと、
本当にただの空っぽになってしまいます。
力でいいますと、間違った脱力ですね。
“やってる感” を覚えないようにすることではありません。
正しく “からっぽ” になることです。
私自身の感覚では、充実感を覚える
ある意味、“ぎゅっとした” 感じの
“からっぽ” です。
よほどの天才でなければ、
この感覚を自分だけの力で掴むのは難しいでしょう。
逆にいえば、
自然と掴んでしまっている人を
天才と呼ぶのだと思います。
だからこそ、私たち凡人は、
やたらと頑張ったり、
天才の言葉を真に受けたりせずに、
(天才にとっての自然は、凡人には不自然なのです。)
有効な方法で
このある意味
「 “ぎゅっとした” 感じの “からっぽ” 」
を身につける必要があるのです。
多くの人が、自分自身に希望を持ってもらえたらと思います。