12/15,16
ワルシャワ公演にて
「阿修羅像になったみたい!」
同じ内容のレッスンを、
別々のクラスで行なったところ、
それぞれのクラスで
冒頭の発言が
自然発生したんです。
同じ体感覚を持った人がいたということです。
この出来事は、
とても重要なことを示唆してくれています。
それは、私がいつも言う
「イメージを先行させてはいけない」
このことを、端的に表してくれているんです。
どうして、阿修羅像になったように感じたのか?
両手を合わせて拝んだ形でしたけれど、
ポーズのせいだけではありません。
そもそも、そんなに特別な形ではありません。
ひと言でいいますと、
全身にエネルギーがくまなく通ったからです。
それも力強く。
けれど、まだそれだけでは、
阿修羅像になった感じはしなかったでしょう。
ポーズとエネルギーの通りだけではなく、
何があったのか?
それは、
頭がとても静かだったんです。
全身に力強さがあり、
両手を合わせた形に
静けさが加わり、
阿修羅像が想起されたわけですね。
阿修羅像になることを
イメージして行なっても、
決してこうはいきません。
なぜなら、
「・・・になろう」
としている限り、
「・・・ではない」
が、必ずセットになるからです。
大事なことは
「・・・になっている」
そのことに気がつける、
それだけの状態になっていることです。
私も実は、阿修羅像というイメージは
言われるまで持っていませんでした。
ですから、どちらのクラスででも、
阿修羅像のことは全く思い浮かべることなく、
ただ、純粋にエネルギーの通し方として
レッスンしていたんです。
それが、期せずして、
冒頭のことが起き、ちょっと驚いたわけです。
ですから、
ある人は、阿修羅像発言が出る前、
こう言っていました。
「すごく宇宙を感じます」
「自分が何かやってやろうといった自我が消え」
「ただただエネルギーが、バーッと出ている」
まぁ、ここだけ聞くと
怪しいですけど(笑)
結局、そういう言葉でしか伝えられない状態であることに
間違いはないんです。
だからこそ、
阿修羅像になった感じがするわけです。
どうでしょう?
こういった状態を、
イメージからもっていけるでしょうか?
独りよがりではなく。
他の人が見ても、納得出来るような状態に。
これが、イメージを先行させず、
身体からイメージされるものを
大事にするということなんです。
この状態であれば、
嘘がありません。
迷いも生まれません。
自分の感覚と観客の感覚が一致します。
つまり、
伝わる。
伝えようとしても伝わりません。
伝わった状態になっているから、
伝わるんです。
最後に。
頭が静かでないと、エネルギーの通りの純度は下がります。
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