私はもともと、運動神経が悪いだけでなく、軽い側湾とともにひどいO脚だったり、(今思うと)学生の頃は足首が浮腫んでいたりと、全く恵まれていない身体だったんです。
(こちらでも過去にお話をしたことがありますね。)
にもかかわらず、こうして身体の使い方の専門家として著書4冊・DVD3本を世に送り出している。。。過去の自分が知ったら、ほんとビックリすると思います。
で、これ、どうしてなのか?
やはり、アートマイムのおかげ。
アートマイムをやっていなければ、絶対にあり得ない。そう思うんです。
では、アートマイムの教えには、そんなに細かな身体の使い方があるのか?と言いますと、そんなことは全くありません。
私が今、指導しているような身体の使い方は、決して習ったものではないんです。
ですから、同じ時期に同じ師匠であるテリーさんから学んでいた人は、何人かいますけど、誰も知らない内容です。
だからといって、私が勝手なことをしているというのではなく、むしろ、他の誰もアートマイムを身につけられていない。
つまり、直接の指導内容には入っていなかったけれど、言外に含まれている内容、あるいはテリーさんの見せてくれる動きが、教えてくれた。そこを掴めたかどうか?なんです。
で、なぜ掴めたか?
これが非常に重要なポイントだと思うんです。
私のセンスが良かったからではありません。身体能力が低い上に、頭も特に良いわけでもないのですから、他の一緒に学んでいた人たちより優れたところなんて、何もありません。
他の人が掴めず、私が掴めた理由、それは、
アートマイムが何であるのか?を深く理解出来ていたから。
これに尽きると思います。
アートマイムとは、人間を再構築するものなんです。この世界の在り方を再構築するものなんです。
どういうことか?
アートマイム、一般的にはパントマイムという理解で大丈夫なんですけど、舞台上での演劇的表現になりまして、セリフ・言葉はもちろん、道具類も何もないまっさらな空間に身ひとつで行う演劇的表現。
そんなアートマイムでは、まず「自分という存在がない」という状態から始まります。「世界もない」という状態が前提になります。
大事なのは、これを、そういうイメージ・考え方という抽象的なことではなく、具体化していることなんです。
どう具体化しているか?
自分の身体を、一旦、人形にします。人形のように動くパントマイムということではありませんよ。
人間の形をした物体が、どう動くと人間らしく見えるのか?
それを考え、実行する。
本当の人形劇や、アニメでは普通にやっていることですね。それを、まぁ生身の自分の身体でやるわけです。
(私たちは紛れもなく人間なものですから、黙っていても人間の動きが出来ると思ってしまうんですけれど、実はそんなことはないんです。)
で、それは動きだけではなく、呼吸そのものも同じように考えるんです。
呼吸するとはどういうことか?
私たちの身体がもし動かずに、呼吸もしていなければ、ただの物体ですよね?まずは、呼吸してくれないと生き物になりません。普段の私たちは無意識で呼吸をしてしまっていますから、呼吸をしていない物体に戻っての自分という存在・生命を考えはしません。呼吸していなければ、そもそも自分は存在しません。生命ではありませんものね。
ですから、これも先の動きのお話と同じように、ただの物体について考えるわけです。
単なる物体が生きている状態になるとは、その物体全体が呼吸の動き、つまり膨らんで縮んでをしてくれること。
私たちは肺だけで呼吸しているわけではない。全身が呼吸に伴って変化しています。そこに意識的になるわけです。
さらに、自分の意思が生まれるということも、意識的に身体を使って行うんです。
呼吸して生き物らしく動くだけでは、まだ人間ではありません。「私」という意思が必要です。それも、単に脳内だけの意識といった抽象的なものではなく、身体と共にある「私」です。
ですから、「身体全体と意識の一体化」がイコール「私」になります。
アートマイムでは、舞台上にいる間は決して、この「私」という身体状態を失ってはいけないんです。普段の「私」とは違う「私」です。舞台から降りた時、初めて普段の「私」に戻れるんです。
普段の「私」とは、社会化された「私」です。アートマイムの舞台上での「私」とは、社会化されていない普遍的な意味での人間です。
こうして、初めて人間が誕生し、次にこの人間の周りに世界が生じるわけですけれど、世界とは、常にこの人間である「私」との関係が生まれることで、存在できるものです。言い方を変えますと、「私」と無関係の世界は存在しないのと同じ。
アートマイムの舞台では、最初にお話をしましたように、物理的に本当に何もありません。全ては「私」と関係あるものとして、生み出す必要があるんです。
そして、これも(頭の中の)イメージではなく、身体的な反応として生み出します。
(初めから「私」の外に何かがあるわけではなく、常に生み出す必要があるということは、非常に大きな意味を持ちます。)
さらに、感情。
自分の外部に生み出した世界ですが、自分が生み出したにもかかわらず、まるで自分から切り離されたものとして、その世界との関係で、感情が生まれます。いえ、世界との関係によって感情が生み出されたようにするんです。
言い換えますと、世界に意味はありません。意味付けするのは、「私」なんです。
「私」にとって、その世界がどんな意味を持つか?があるだけでして、汚いものや美しいものがあるわけではなく、「私」が汚いと感じたか?美しいと感じたか?でしかありません。また、それに対して、嫌悪を感じるか?好意を感じるか?も、「私」次第というわけです。
そして、感情というのは、頭の中で、あるいは抽象的に心の中で生じるものではなく、あくまで身体的反応であるということを、身をもって感じ、生み出すのです。
演じるといいますと、悲しい、あるいは嬉しいと思い込もうとしたりしがち。あるいは悲しい人や嬉しそうにしている人を演じがちですが、それらは嘘です。悲しいという身体の状態、エネルギーの流れ方があり、それを生み出すことが重要。生み出せますと、悲しいという感情が生まれる。
(この実践を「エモーショナル・ボディワーク」と称して指導しているのです。これも私のオリジナルで、このような教えを受けたわけではありません。けれど、この実践をしていることは間違いありません。)
とまぁ、長々と書いてきましたけけれど、「アートマイムとは、人間を再構築する。この世界の在り方を再構築する」とは、概ねこんな感じのことなんです。
こんなアートマイムに出会ったおかげで、冒頭のようなことになったわけです。
逆にいいますと、アートマイムの習得のために、必要に駆られて起きたことでもあるわけです。
アートマイムは表現としては特殊な身体の使い方をすることもありますけれど、土台は全てに共通する普遍的な身体の使い方になります。私がしばしば話題にする和や西洋もない。どちらもあるんです。「人間」が前提ですから。
ということで、私の扱っている身体の使い方といいますのは、一見、アートマイムという一風変わった身体表現のための技法でありながら、分野問わず、汎用性の高いものになるんです。
と、身勝手に自分だけで思い込んでいるわけはないということで・・・
野口整体の施術家の方で、以前よくワークショップを受講下さっていた方が、私が1冊目の著書出版の際に、こんな言葉で(恐れ多いのですが、ありがたいことです。)紹介下さいました。
「神様から密かに人間の設計図を見せてもらったのでは? と思ってしまったほど、身体のことを解き明かして・・・」
どういった視点からでも、興味を持ってもらえたら嬉しいなと思います。
次回公演は12月13日(金) 大型企画です!!