私は度々、「西洋の身体・和の身体」といった形で、身体の使い方についてお話をしますけれど、これまたいつも言っているように、どちらかしかないということではなく、どちらの要素が強いか?デフォルト(標準状態・初期設定)か?ということなんです。
で、これは、身体の使い方とは関係なく、人間にとっての男性性・女性性、父性・母性みたいなものとも同じなんです。
人は誰でも相反するような両極の性質を持っています。そのどちらが強く現れているか?あるいは、どちらに強く支配・影響されているか?でしかありません。
これは、同性愛・異性愛といったものとは別のことですけど、見た目ではなく中身の男性性・女性性は、同性愛・異性愛どちらにしても、影響されているだろうとは思います。
さて、なぜこんなお話をしているかと言いますと、「やはりエネルギーはトーラス構造で流れているので、トーラスを大事にしてもらえたらな」という思いをあらためて強く持ったからなんです。
トーラスといいますのは、穴の空いたドーナッツの形を思い浮かべていただくと分かりますように、内側である穴の側を上って行きますと頂上のようなところに出ますね。そしてそこからは下って行くことになります。そこは外側ですね。で、外側をずっと下って行きますと、一番下の頂点にやってきまして、そこからは内側である穴の中に入って行くように上る形になります。
つまり、始まりも終わりもない(2次元の)円運動の3次元版として、内と外、上と下が永遠に繰り返されるわけです。
これは「集まっては開放↔︎開放されているものが集まってくる」、「収束しては拡散↔︎拡散されていたものが収束される」といった繰り返しみたいなことでもあります。
そこで、身体の使い方ですけれど、
西洋の身体とは、このトーラス運動的に捉えた場合、内から外へ、下から上へ、という開放・拡散が色濃く現れやすい身体ということになりまして、
もう一方の和の身体とは、この逆。外から内へ、上から下へ、という収束・集めてくるエネルギーの色が濃いということなんです。
西洋も和も、ひとつの構造上のどの部分の運動が色濃くなっているか?であって、全く別のものではないということなんです。
自律神経でも、交感神経と副交感神経というお互い反対の働きをする神経、どちらが優位になっているか?という状態はあるにしましても、基本、どちらもあるわけですし、どちらかだけがずっと強いままでは問題が起きてしまう。
交感神経と副交感神経、どちらも高い状態が理想です。
(現代人の多くは交感神経が高すぎるので、リラックスして副交感神経の働きを取り戻しましょうみたいなことになりますけれど、どちらも高いことが望ましいんです。)
そして、何でも同じですけれど、出すべきものを出さないで抑え込んでいますと、爆発しますように、基本、日本人は内へ内へ、下へ下へを向かうものですから、あるとき爆発してしまうわけです。
少しお話が逸れますけれど、世界中がコロナに巻き込まれていた時期に、欧米は政府が都市をロックダウンなどして、市民の活動を押さえ込み、市民もそれに従うということがある一方で、日本ではそこまで強権的なロックダウンもなく、マスク着用も厳しくありませんでした。
これ、不思議に思いませんでしたか?
欧米の人たち、普段はあれだけデモやら何やらで自分たちの権利を主張し、政府の言うことなんか聞く耳持たないぞ!といった感じであるにもかかわらず、意外に聞き分けの良い行動をとり、一方、日本は意外に自由なまま。政府は市民にあくまで協力を求めるという形であって、強制はしない。
何だか、普段と逆でしたよね。
おそらく、欧米は普段から発散しているので、押さえ込まれた時には、渋々とはいえお上に従える。一方、日本は、普段抑えているので、こういったとき、本当にお上から抑えられたら、何をしでかすか分からない怖さみたいなものがあるような気がするんですよね。
でまぁ、それはそれとして、身体の使い方です。
アートマイムといいますか、JIDAIメソッドといいますか、そこでの最も重要な要素として「トーラス呼吸」があるんですね。
これは、吸うでもなく吐くでもない/吸うであり吐くでもある、といった呼吸で、脳波を乱れさせずに、瞑想状態で運動できるようにしていくためのものでもあるのですけど、別の見方をしますと、西洋の身体と和の身体を行ったり来たりしているんです。
一般的に運動となりますと、西洋的なものか?日本的なものか?のような、どちらかの特色が色濃く現れるようなものになりがちです。
私も常々、ここの記事で、西洋的な踊りやエクササイズを和の身体のまま行ったのでは、無理がありますよとお話をしていますけれど、私自身は、どちらの要素も取り入れましょうね、なんです。なぜなら、人間だからです。
特殊なことをするためには、特殊な状態になる必要がありますけれど、そもそも全方位的であるものなんです。最初のトーラスの説明のように、ひとつの構造上のどの部分の運動が色濃くなっているか?でしかありませんから。
男性性・女性性、父性・母性、そのどちらかしか作動しないって、どこかに無理があります。不自然です。
どちらかしか作動しないというのは、一見強そうなんですよね。「ザ!〇〇!」みたいな感じですから。
ですから、魅力的ではあります。
けれど、私はやはり人間全体、丸ごとだと思っていますので、どちらもであり、その行ったり来たりの波にこそ魅力を感じるんです。
トーラスそのもの。
次回公演は12月13日(金) 大型企画です!!