歌ではよく「口を大きく開けて」と言いますし、実際、オペラなど声楽家の方は口をしっかり開けて歌っていますよね。
けれど、能の謡などはあまり開けません。
オペラも能も、声は響き、遠くまでしっかり届きますのに、この違いは何なんでしょう?
口は開いたほうが良いのか? それとも開く必要はないのか? いや、むしろ大きく開かないほうが良いのか?
これを、また「あ」と「ん」の発声をもとに考えてみましたら、そうかぁ!となったものですから、性懲りもなくお話をしていきますね。
概ね想像はつくかと思いますけれど、西洋の発声は「あ」がベースなので、口が開きます。和の発声は「ん」がベースなので口が開きませんね。
けれど、和の発声であろうと「あ」という音も出すわけですから、開くでしょ?と思われますよね。
これは、以前の記事でもお話をしましたように、「ん」がベースと言いますのは、「ん」を母音のようにしっかり発声できるようにしているということなんですね。ですから、「あ」という音を出すときでも、それほど口は開かないで済むんです。
日本語は口の前の方で発声する言語で、口もあまり動かさないで喋る言語でして、アニメありますでしょ?日本のアニメは人間が喋るシーンで、口の動きがただパクパクしてるだけで十分なんだそうですけど、それが欧米では、そんなただパクパクでは言葉と合わなくなってしまうらしいんです。もっとはっきりと発音に合った口の動きをさせる必要があると。
これは、日本人が表情が無いみたいに言われる原因でもありますね。
日本語は口を動かさないで済む。当然口周りの筋肉はあまり発達しない。表情が乏しくなる。
対して、欧米の言語では、口周りの筋肉がよく発達し、表情が豊かになる。
日本では「目は口ほどに物を言う」と言われるように、口よりも目の方に表情が現れる。絵文字でも目の表情が重要ですよね。
そんなこともあって、日常生活でサングラスは悪くとられがち。マスクは気にならない。
一方、欧米では、マスクは気味悪がられ、サングラスは気にならない。絵文字も口の表情が重要ですよね。
和の発声が「ん」ベースなのは、口の前の方で発声しているがために、つまり口を開けない発声が当たり前なので、その状態でしっかり響く声を出そうとしますと、結果、「ん」ベースのような形になるということなんです。
で、この「ん」発声と、欧米の口の奥・喉奥で(母音を)発声する「あ」発声とを比べますと、(私の実験によると、ではありますけれど)「ん」は鼻の奥と下腹が結びつきます。「あ」は喉の奥と横隔膜が結びつきます。
ちなみに、「ん」は下腹に入っていくようなエネルギーで、「あ」は横隔膜から上がってくるようなエネルギーになります。
「ん」は飲み込むエネルギーであり、「あ」は開放されていくエネルギーであるということでもありますね。
さて、口の開きですけれど、日本語発声をベースにする場合は、喉の開きよりも鼻の奥なので、口を開かないほうが響かせやすく、英語発声をベースとする場合は、喉をより開くために口が開いてしまう。そんな感じだと思われます。
大きな声を発するには、口を大きく開けなければいけないと思っていますと、例えば、鼓の演奏などにある「ィヨォー!」「ハッ!」といったあの独特な掛け声は出来ないわけですけど、そもそも、生まれないと思うんです。
欧米の人が、初めて能の舞台などでこの掛け声を聞きますと、笑いたくなるようなんです。違和感がかなり強いんでしょうね。あり得ない(笑)
あの掛け声、今の日本人でも難しい発声ですけど、欧米の人には相当に難しそうな気がしますよね。
それだけ、発声の原理が違っているわけです。
それが、欧米の歌こそ良いものであるとして取り込んだために、「口を大きく開けましょう」が当然であるかのようになってしまったように思うんです。
けれど実は、声楽などで口を開けるのも、喉の開きによるものであって、表面的に開けようとするのとは意味が違いますから、喉の開きが弱い日本語話者にとっては、ただただ口を開くことになってしまい、発声とは無関係なものになってしまっているのではないか?と思うんですよね。
声楽家の方でも、口を大きく開けないこともありますから、一概には言えませんけれど、発声の探究はやっぱり面白い。自分勝手な探究ですけど(笑)
次回公演は12月13日(金) 大型企画です!!