オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

2005/11/16 Wed テクニックと表現と・・・

歌舞伎の玉三郎っていますよね。玉三郎は踊りを、使い分けているらしいんです。どういうことかと言いますと、同じ振り付けのもを、本格的に踊る場合と、一般のお客が喜ぶように、ちょっと動きを派手に踊る場合と。
ようするに、本格的な踊りでは、普通のお客さんが楽しめない、ということなんです。

まあ、結局は商売であって、決して趣味として自分個人の喜びのためだけに、やっているわけではないですからね。
絵画なんかとは違いまして、舞台芸術は人が、その時その場で楽しんでくれないと、成立しませんものね。

ですから、このことは、いい悪いの問題ではないんですけど、やはり、ちょっと考えさせられる問題ではあります。

踊りに限らず、身体表現(演奏も含めて)での、派手な動きや、いわゆる、「すっご~い」っていうテクニックは、人の目(耳)を奪いますよね。奪う・・・
そう、私たち観る側は、目を奪われている。つまり、能動的ではなく、あくまで受け身なんです。楽しんでいるのではなく、楽しませてもらっている。

これに馴れ過ぎてしまいますと、表面的なところばかりに、目が行くようになってしまい、例えばクラシックバレエで、跳んだり跳ねたり回ったりっていうのばかりを、楽しみにしてしまい、体操を見るのと変わらなくなってしまいます。
すると表現者も、どんどん体操選手になってしまう。

と、一見よくないことのようですけど、それだけアクロバティックな動きさえも、超えるような表現パワーがあれば、それは真に常人を超えた、演技(演奏)として、私たちの心の奥深くに、光を届けてくれると思うんです。

そこで、パントマイムですけど、どうしても変わった動き方をするものっていうイメージが、やる側・見る側、共にありますよね。
けれど、その目先の動きを超える「表現」を、少なくともやる側は目指していかないと、マイムが表現の分野ではなく、テクニックの分野に留まってしまうと思うんです。
このあたりのお話は、またの機会に詳しく考えられればと、思っています。