オーガニック・アートマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

2006/05/02 Tue お弁当は、お弁当らしく。

普段、家で食事する時、どんな食器を使っていますでしょうか?
私はご飯茶碗とお箸は、ちょっと大切にしていまして、買う時、私の中では、ちょっと思い切りました。でも、そのおかげで毎食、気持ち良~く食事が楽しめます。

器の風合いとか感触って、料理の味を左右しますものね。同じ料理でも、いい器にいい感じで盛り付けてありますと、なんだか美味しく感じてしまいます。

で、だい~ぶ前、20年弱くらい前だと思うんですけど、雑誌に『コンビニなんかのお弁当も、素敵な器に移すと、全然違ってきますよ』みたいなことが書かれていまして、確かにそうかもしれないと、試してみたんです。

きちんといくつかのお皿に、きれいに盛り付け、ご飯ももちろんお茶碗によそい、「おぉ!いい感じじゃありませんか。」
と、コンビニ弁当とは思えない、素晴らしい食事になるはずでした。そう、「はず」だったんです・・・

今のコンビニ弁当は味も、だいぶ進化しているのかもしれませんけど、当時のお弁当は、それはやはりそれなりの味。
それを、いくらきれいに盛り付けたところで、美味しくなるはずがなんいんです。
と言いますか、むしろ、そのままお弁当としていただくよりも、美味しくなく感じるんですよ。まあ、不味さが増すわけです。

普段、自宅の料理を食べている器に盛られていますと、どうも自動的に、家庭料理の味を期待といいますか、想像といいますか、してしまっているようなんです。
ですから、普段の家庭料理の味の良し悪しとは別に、外食ものの味に、違和感を覚えてしまうんですね。

それが、コンビニ弁当ですよ。エネルギーの抜けた形と色だけの、フェイクな食事です。
お弁当の形でなら、なんだか非日常的な感じで、それなりに美味しく食べられるのですが、家庭料理を食べるような雰囲気の中では、そのフェイクさが際立ってしまい、とても食べられるものではありませんでした。

相当に昔のことですけど、あんなにも悲しい気分になったのは、いまだにショッキングな事として、身体に残っているんです。
そしていまだに、あんなことを書いた雑誌に対して、「いったいどういう神経をしているんだ!本当に試してみたのかっ!何でも書けばいいってもんじゃないんだっ!」って、憤りを感じています。

食べ物の恨みは、恐いのです。ほんとに、恐いのです。