心とか思考というのは、必ず身体の動きとして現れると思うんです。特別な動きでなくても、ただ何にもしないで、立っているだけ、座っているだけでも、現れると。
そこを、人は顕在、潜在にかかわらず意識下で、受け止められるので、他人のことを、その姿を見ただけで、なんとなく分かるんですよね。
言葉とか、顔の表情とか、そんな表面的に繕えるところではなく、身体そのものが、その人の内側にあるものを発してしまい、受け取れてしまう。
「背中が寂しい」なんて、いい例じゃないかしら。
別に、ネガティブなものでなく、ポジティブなものだってありますよね。口では「寂しい」なんて言っていても、どう見たって元気そうなことありますものね。
まあ要するに、身体の方が本当のことを表わしている、ということだと思うんです。
そこで、マイムです。
ただのテクニックにはしるマイムは別としまして、内側のものを表現しようとするマイムであるなら、ここのところは、ほんとに重要なものとして、考えないといけないと思うんです。
身体で、繊細な内側のことを表現するためには、繊細な身体、言い換えれば、繊細な筋肉に繊細な呼吸でしょうか、そういったものを持ち、使いこなす必要があるのではないか、ということです。
身体が発するものは、嘘がつけない訳ですから、言葉を使わないマイムにとって、ここは生命線のはず。
ところが、粗い身体では、どうしたって無理がありますから、結局、「振り」の演技になってしまう。そして観客は、その嘘を見抜きながらも、「パントマイムって、こういうもの」と、変な優しさで納得してしまいがち。
そんな優しさに甘えることなく、できるだけ嘘を薄くするためには、言葉を使うお芝居とは違う、マイム独特の訓練が必要だと思うんです。
そして、この身体訓練を経た身体表現こそが、マイムの存在価値になると思うんですけど、どうなんでしょうね。
まあ、まずは、繊細な筋肉と、繊細な呼吸ですね。