オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

動かないでいられる身体と動けない身体

動かないでいられる身体


動けない身体



動かないでいられる身体で、動かない。動く。


動けない身体で、動かない。動く。



先日、3ヶ月にわたる全3回の『表現者のためのアートマイム・レッスン』が終了致しました。

こういった形でレッスンは今回が初めてだったんですね。
この内容を1日で行なってしまうことは、時間的には可能なのですが、
ひと月というインターバルをおくことで、受講者の方の中で、レッスン内容が熟成されてきますから、
次のレッスンの内容が、深いところに入っていきやすいと思うんです。
新しいことを経験したときに、それを理解するのには、やはり時間が必要です。

お仕事の都合で、全回参加が叶わなかった方もいらっしゃいましたので、
また開催したいと思っています。


ところで、
このレッスンの肝は何だったのか?


シンプルに言い表しましたのが、今回の冒頭の言葉です。
最終回には何度となく使った言葉です。


「動かないでいられる身体」と「動けない身体」・・・


この違い、どうお考えになりますか?


動かないでいられる身体といいますのは、
肉体的にも内面的に身体の奥・内側が充実している身体ということです。

一方の、動けない身体 といいますのは、その逆なのですが、
肉体的にも内面的に身体の奥・内側が空虚か?といいますと、そう単純でもないんですね。


動けない身体のほうには、大きく2通りのタイプがあります。
1つは、内面はともかく、肉体の奥が空虚で、表面に力がこもるタイプ。
もう1つは、内面を重視し過ぎるあまり、身体が切り離されて、
結果、表面に力が入ってしまうか、あるいはどこにも力が入らないというタイプ。
一般的に前者が多く、後者は内面重視の役者さんに多い。


動かないでいられる身体は、動かないでも表現できている身体なんですね。

動けない身体の場合は、内面が空虚であれば、もちろん表現できていないわけで、
いくら動いてもそれは、ただの運動としての動きになってしまいます。(演劇的な意味で)
内面がある動けない身体では、不自由さ、窮屈さを感じさせてしまいます。
動かないという選択をしているのではなく、動けないということが、感じられてしまうわけです。


ところで、
動かないでいられる身体だからといって、動けるか?
といいますと、そんなことはないんですね。
奥・内側にあるものが過不足なく現れるように動くというのは、やはり容易ではありません。

(内面重視の役者さんが動けなくなるのは、
動くことで内面が崩れることに恐れを抱いているのでしょう。
それだけ、心と身体のつながりに敏感であり、大切にしている故だと思います。)




動けない身体で、動かない。

・・・動かないことが選択ではない。表現できていない可能性も。


動けない身体で、動く。

・・・空虚な運動、ジェスチャー



動かないでいられる身体で、動かない。

・・・表現できているからこそ、動かないことを選択できる。


動かないでいられる身体で、動く。

・・・これを実現させるのが、アートマイムであり、オーガニックマイム。



表現者のためのアートマイム・レッスン』最終回では、
感情を体全体を使ってしっかり出すということをした後に、

感情を抑える

ということを表現してもらいました。



何故か?

それは、感情というものは、出すものではなく、出るものだからなんですね。

感情を出す。

感情が出る。

この違いは重要でして、
動かないでいられる身体になれるかどうかは、この違いにかかってきます。


私が演技面で大事にしているのは、
感情表現の訓練というものが、感情を出す訓練でではなく、
「感情が出る」状態をつくる訓練であることなんです。


それは、感情に限らず、マイム特有の、例えば、重さを表現するときなども同じなんですね。

重さを見せる。

重さが見える。

この違いです。


「重さが見える」ような身体が、動かないでいられる身体ですね。


動かないでいられる身体・・・どう思われましたでしょうか?



Body,Mind&Spirit 本当の自分の身体は天才だ!




マイムから心と身体の平和を


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