先日ダンサーの方(先生もされている)への個人レッスンで、
痛々しい表現(演技)についての話が持ち上がりました。
ダンスはマイムとは違い、
振りそのものの動きと、内面とは無関係です。
例えば、パパッと首を振って、溜めて〜ぇ、シャッ!みたいな振り、基本的には音楽的リズムです。
けれど、そんな振りの中で、例えば、苦悩っぽく、威嚇するような、といった
何かしら内面との結びつきがあるんですね。
振りが入ってこないうちは、そんな内面的なことはともかく、まずは覚えてリズムの中で動けるようにということで精一杯なんでしょうけど、それはまだ運動の段階ですよね。
運動を見せているダンスもありますけれど、それはそれとして、
内面を伝える必要が無いとしましても、
動きの質感、ダンサーのパッションといったものは、観ている私たちにとっては、表現の一部。
ダンスの運動部分だけを観ているわけではありませんものね。
そこで、例えば、苦悩っぽく動くといった場合、どうしたら苦悩っぽくできるのか???
最初に言いましたように、マイムではなくダンスですから、
苦悩と分かるような形を作るわけではなく、
一見、内面とは無関係な振りで、苦悩っぽくしなければならない・・・
そうしますと、当然ですけれど、
何か自分なりに苦悩をイメージしながら、その振りを踊ることになるわけです。
それ以外、無いですものね。
一般的に多くのダンサーは、こういった動作に
どうしても無理を感じ、照れを感じてしまう。
そこをカバーするため、あるいは、
しっかりエネルギーのある表現にしようとして、
頑張り過ぎてしまう。
これが、いわゆる”痛々しい表現”になってしまうんですね。
本当は感じてもいないのに、感じてるフリをして、エネルギーを出してしまう。
ダンサー自身が心痛めて辛い思いをして踊っていて、観ている側も心が痛くなってしまう。。
ダンサーの内面を、観客の側は感じ取っているものなんです。
ダンサー自身もこういう辛さって、ほんとうに辛いですよね。
※ダンサー本人で本当は感じていないということを、感じられない、
あるいは、こういった無理を重ねることで、感じられなくなってしまったという人も多くいます。
そういった場合、本人は照れも感じませんし、無理をしているとも感じません。
むしろ、表現することに悦びを感じているかもしれません。
そこで、このダンサーの方に「エモーショナル・ボディワーク」の方法を少しお伝えして、
試してみていただいたんです。
そうしましたら、
「全然、恥ずかしさがない」
「無理がない」
と驚かれていました。
さて、痛々しい表現ですけれど、マイムやお芝居の場合は顕著です。
何しろ、その表現すべき内容、内面を観客に分かってもらうように演じるわけですから、
観ている側には、別段分かってもらわなくてもいいダンスの場合に比べて、
何倍も痛々しさを感じさせてしまいます。
これは、私自身の問題でもありました。
だからこそ、「エモーショナル・ボディワーク」といったものを生み出せたわけですけれど、
マイムやお芝居ほどではなくても、ダンスでもとても重要な要素ではないでしょうか?
辛い思いはしたくないですものね。
このダンサーの方は、まさかマイムが自分のダンスに、
こんなにも直接的に役立つものとは思ってもみなかったようでした。
ダンサーの方に、アートマイム、オーガニックマイムに興味を持っていただけたら嬉しいです。
今月18日(金)の公演に、足をお運び下さい。
質問タイムもありますので、ぜひ。
「エモーショナル・ボディワーク」は前日、17日にワークショップとして開催されます。
あわせてどうぞ。
公演もより深く楽しめると思います。