みなさん、一般的なパントマイムでの顔の表情、どういった印象をお持ちでしょうか?
良く言えば、表情豊か。
悪く言えば、大袈裟。
だと、思うんです。
私の普段の指導では、表情を抑えるようにと言うことが多いのですけど、
毎年この時期にマイム作品1つを提供している、
早稲田大学のパフォーマンスサークル「舞夢踏(まいむとう)」の出演メンバーには、
大抵、表情を大きくするように指導します。
矛盾してますよね。
どうしてか?
で、その答えの前に、こちらを読んでいただきたいと思います。
お越し下さった方から、公演恒例のアフターミーティング(質疑応答)で、
顔の表情についての質問
が出たこともありまして、メールでいただいたものです。
この方は、第一夜からほぼ毎回お越し下さっていまして、
ご自身も表現者(主にマジシャンとして)であり、
大学で映画づくりについての指導もしている、
非常に感性豊かで穿ったものの見方の出来る方。
全文紹介です。
(色、太字は私のほうで)
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今回のあらためての発見なのですが”顔の表情”について思った事があります。
一緒に見に来ていた彼女も言っていたのですが、
顔の演技と体は別ではなくて一緒であると。
マイムだからといって無表情でもなく、演技しすぎる顔でもなく、
その体全体から伝わってくるものが顔にも表れている自然さ。
つい、顔は伝える情報が多いように思えてしまうのだけれども、
それは受け取る側の意識の問題で、
無意識にも体から伝わっているものも同等にあるんだろうなと。
だからJIDAIさんの表情はとても豊かであるのだけれどもわざとらしくないというか、
とても臨場感のあるイメージが伝わってきます。
それは顔だけではなく体も相まってそうなっているのだなと。
つい、人は体のパーツを別々で捉えたり、中と外とかカテゴライズするのだけれども、
それを一周して1つの普遍的なイメージを体で表現するというのは
見ていてとてもエキサイティングです。
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これで、矛盾する指導の理由が、見てきたのではないかと思います。
普段の指導、つまり本格的にこのマイムを身につけようとするレッスンでは、
身体の表情に沿った顔になってほしいので、顔の表情が出過ぎないように注意をし、
目の前のとりあえずの結果が必要な場合は、顔を活かす。
身体の表情というのは、とても難しいものなんですね。
踊りをやっているとか、身体能力が高いとか、
全くと言っていいほど関係ないんです。
要は、芝居っ気。
といって、マイム(アートマイム、オーガニックマイム)は身体表現ですから、
いわゆるお芝居の人の身体
では、困るんです。
つまり、何を学んできていても、だれがやっても、余程の人でないかぎりは、
みんな超初心者なんです。
身体表現として、身体がリラックスしていることの重要性は、
どなたでも分かると思うのですが、
顔も身体の一部として、同じようにリラックスしている必要があるんです。
ニュートラルな身体が求められるように、
顔にもニュートラルが大事。
そういう意味では、
能面。
能の面をベースとして、
人間としての内面の変化に追随するように、変化する、生きている能面。
そんな感じです。
あらゆるものを飲み込んだ、あるいは何も無い表情、宇宙の深淵を感じさせる表情。
それは、
生後間もない赤ちゃんの顔。
そこから、何でも表すことのできる顔を獲得していく。
それは、
身体と不即不離。
内面と不即不離。
単純に筋肉の問題ではないのです。
2月14日 『原始歩き同好会』
Body,Mind&Spirit
本当の自分の身体は天才だ!