オーガニック・アートマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

2006/05/23 Tue 国を愛せよ!?

朝日新聞世論調査によりますと、教育基本法で「国を愛する」ことや、「日本を愛する」ことを定めることに、賛成56%、反対29%なんだそうです。

こういう調査の類いは、質問の仕方で随分と、答えが変わってくるでしょうけど、気になりましたのは、「愛する」ことを目標にすることに反対の人が、結構いるんだなってこと。

敢えて目標として掲げる必要はない、ということなんでしょうか?
それとも「愛する」ことそのものに反対なんでしょうか?
この場合の愛は戦争に繋がるからということなんでしょうか?

国を愛するということが、具体的にどういうことかの問題はありますけど、戦争の無い世の中、平和な世界を目指すのであれば、いわゆる愛というものが、大きな役割を果たすと思うんですけどねぇ。
反対ということは、愛が無くても、この世は幸せになれると考えているのでしょうか?

愛情を受けずに育った子供は、大きくなってから、人に愛情を注ぐことが出来なくなるって、いいますけど、要するに、自分自身を好きになれないから、他人も好きになれない。

自分自身に対する態度が、そのまま人に対して反映されてしまうように、自分の国を愛することなく、他の国を愛することも出来ないと思うんです。

愛というものににとって、一番重要なことは、お互いが「対等」であること、能力・立場・価値観ということとは関係なく、お互いを尊重することだと思うんです。
で、その前提が、自分自身に対する尊重であり、つまりは自分を知り、自分に誇りを持ち、自分を愛する。ってことではないんでしょうか?

他人を尊重し、いい関係を作るには、まず自分を尊重出来なくてならないように、他国を尊重するには、自国に対する正しい理解と、誇り、愛が必要不可欠な気がします。

私のように、自分に対する自信も愛も希薄な人間が、自国に対する知識も理解も無い人間が、こんなことを言うのは、変なんですけど、平和な世界の実現には、他の国を尊重出来るような、自国を愛する人間を、ひとりでも多く育てるのは、悪いことではないと思うんです。

他人を、自分を、愛せる人間になって欲しいと、子供を育てることが、悪いことでないならば、他国を、自国を、愛せる国民になって欲しいという目標を、国が持つことに、私は反対できないのです。