オーガニック・アートマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

2006/05/27 Sat 愛ある人間に・・・

教育基本法に「愛国心」ということを盛り込むとか、どうとかでもめているようですけど、問題はそんなことなんでしょうか?

前回のコラムで書きましたように、私には反対する理由がありません。
法律に載せる文言を、どうするのかということよりも、「愛する」とは、いったいどういうことなのか、「国を愛する」ということは、「地域を愛する」とか「所属団体を愛する」とか、「家族を愛する」、「自分を愛する」ということと、どういった繋がりがあるのか、ということを、もっと議論していただき、その議論内容を、国民に分かりやすく示してもらいたいなと、思うわけです。

そしてまた、何故自分を、自分の国を、愛する必要があるのか、ということも示してもらえればなと。

何も、自分がかわいいとか、自分が一番だとかという、優越感に浸るためではないはずです。ましてや、他人や他国を傷つけるためのはずが、あるわけありません。

愛とは何か?というのは、ありのままを受け入れるとか、許すことであるとか、 ワあ、各人各様にあるとは思うのですが、私は「愛というのは、成長のための光とか水」みたいなものだと思うのです。

愛する対象が、自分であろうと他者であろうと、その対象にとっての成長に繋がるような、態度・姿勢が、愛なのだと。

甘えさせることで、安心感を与え、次の頑張りにつなげることもあるでしょうし、放っておくことで、自力で何かを見つけていく力をつけさせることもあるでしょう。時には厳しくすることで、隠れた力を引き出すこともあると思います。

甘やかして、ダメにしてしまうのは、もちろん愛とはいえないでしょうし、ただ放っておいて、知らぬ存ぜぬも、違います。厳しくするのも、潰してしまっては元も子もありません。

光や水は、多過ぎても少な過ぎても、うまくいかないんだと思います。相手に応じて、必要な時に、必要な量を、ということだと思うんです。

とは言いましても、こういったことは、一般論では分かっても、具体的にいざ実践となると、なんだか全く持って暗中模索みたいなことになってしまいます。

でも、それでも、だからこそ、国にはこういうことを、きちんと議論してもらいたいですし、学校や家庭などで考えさせる場を作るように、しむけて欲しいと思うのです。
そうすれば、こんな私でも、少しは愛ある人間になれるような気がするんですけど・・・