オーガニック・アートマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

2006/06/08 Thu 個性って何でしょ?

もう5年くらい前に作ったんだと思うんですけど、パントマイムのグループ用の小作品で、タイトルは『私はあくまで、社会の中で私である』。

最近読んだ本に、同じようなことが書かれていまして、その本では「社会」ではなく、「世間」という言葉でしたけど、ふと思い出しました。

今はどうも、「個人」というものが、社会を構成する一番小さな、そして大切な要素のようでして、個性だとか、その人らしさだとか、まあ、とにかく何でもいいから、ひとと違うところを、探してアピールしないと、世の中から、おいてけぼりをくってしまいかねない。あぁ、大変、大変。。。

確かに、それはそれで、そうなんでしょうけど、本当にこの世の中は、個人の集まりなんでしょうかねえ?
私としましてはやはり、マイム作品のタイトルのように、あくまで社会の中での個人だと思うんですよね。

しがらみの中で生きているとか、ひとりでは生きていけないとか、そういうのとは、ちょっと違いまして、社会でも何でもいいんですけど、自分以外の人が存在しない限りは、私という存在は成り立たないと思うんです。
もちろん肉体的には存在しますけど、それは単に物としての存在にすぎませんでしょ?

要するに、「私」が存在するのは、関係性の中でしか成り立たない。「あなた」とか「誰か」とかがいて、はじめて「私」が成立するわけです。
白は黒があって、はじめて白なわけで、黒がなければ白は一体何なんでしょう?ってこと。認識のしようがない。

そうしますと、社会は個人というものの積み重ねではなく、社会というものがはじめに有りきと、いえなくはない気がするんす。
社会があってこその、個人だと。

この考えでいきますと、日本も諸外国があって、はじめて日本であり、もちろんその諸外国だって、自国以外の国があって、はじめて自国なわけです。

「私」という、「自国」という個を、ただ主張しても、関係性の中でしか成り立たない「私」であったり「国」であるわけですから、「私」も「国」も、社会なり、国なり、地球なり、それらを構成する、一要素であることの自覚があると、もう少しいい世の中になるんじゃないかしら。。。

と、個性を主張しきれない私は、思うんです。あぁ。。。