「ホリスティック」・・・この言葉が、ふと頭に浮かびました。
で、ちょっと言葉の意味を調べてみましたら、ホリスティック(Holistic)という言葉は、
ギリシャ語で「全体性」を意味する「ホロス(Holos)」を語源としていて、
そこから派生した言葉には、
Whole(全体)、Heal(癒す)、Health(健康)、Holy(聖なる)…
などがあるようです。
で書かれていました~。)
このホリスティックという言葉は、大まかに言えば「全体性」なんでしょうけれど、
「全人的」
という言葉が私にはしっくりくるかな?
まぁ、いずれにしましてもこの言葉のポイントは、人(人間)を捉える際に、
「目に見えるものとしての存在」
「見えないものとしての存在」
「個人を越えた宇宙的存在」
という3つの観点に立つことかと思うんですね。
目に見えるといいますのは、ボディ、フィジカルとしての肉体ですね。
見えないものは、心。マインド、スピリットですね。
宇宙的存在というのは、なんでしょ・・・まぁ、言葉通りなんですけど、
「神性」とか「自然(性)」でもいいかもしれません。
「ソウル」ですと、まだ個人的な匂いが残ってますから、違和感がありますね。
ところで、私たちマイムは身体表現なわけですから、
当然、フィジカルな目に見える肉体と、その動きによって表現していくのですけど、
それは単に動きを見せるのではなく、目には見えない心を見せるためなんですね。
ですから、
「目に見えるものとしての存在」「見えないものとしての存在」ということの自覚は、
当然、大事にしなければいけないんですね。
ですけれど、それだけでは本当は足りなくてですね、
私たちのマイムは、
「個人を越えた宇宙的存在」「神性」「自然(性)」
といったこと抜きには語れないんです。
ただ、まぁ、あまりこの辺りのことを言いますと、
何だか宗教団体のように思われてしまいますし、
変に自分を見ずに、あっちの方ばかり見ているような人の集まりだと思われてもなぁ、、、
ということで、声を大にはしていません。
でも、やっぱりほんとに大事なんです。
と、そんなわけで、
「目に見えるものとしての存在」
「見えないものとしての存在」
「個人を越えた宇宙的存在」
として、
演劇的に身体表現をする私たちのマイムは「ホリスティック」という言葉と馴染みがいいのではないか?と思ったんですね。
(演劇的にと言いましたのは、具体性のある動きをするという意味です。
1つ1つの動きには意味が無いダンスではない、ということ。)
つまり、私たちのマイムは、この3つのバランスが大事でして、
もちろん、最初のうちは、例えば「目に見えるものとしての存在」として、
動きをたくさん訓練することにになるでしょうし、
人によっては、「見えないものとしての存在」に、
心傾けてレッスンを受けることもあるでしょう。
「個人を越えた宇宙的存在」なんて、わけ分らないかもしれません。
(私が何を分っているのか?だって、怪しいものです。)
けれど、この3つを車輪のように回すことで、
それぞれがお互いを補完しあい、成長を促すことになるのだと思うんです。
マイムをやっていますと、あるところから動きの質が上がらなくなります。
それは、
内面を大事していないから
です。
あるいは、内面ばかりが強くて、動きにいっこうに現れてこない場合があります。
それは、
自分(の身体、動き)に対する客観性がないから
です。
動きも上手で、内面のパワーも強いけれど、空間が生み出されない場合があります。
それは、
未だ個人でいるから
です。
もちろん、私は精進、精進!
こういう「ホリスティック」な世界が、たまたまマイムという形をとっていた、
ということかもしれません。
多くの人に、このマイムを届けたいと思います。
潜在意識下で、実は待っているという人がたくさんいると思うんです。昔の私のように。
6月の公演、ぜひ足をお運び下さい。
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