オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

「生きる」を俯瞰する

何かトラブルがあった際、当事者よりも第三者のほうが、的確な判断を下せるであろうことは、
多くの方に同意いいただけると思います。


その、ただ中にあっては見えないものは多く、外から眺める、
つまり出来る限り冷静に見つめることは、いつでも重要ですよね。



ところで、生活のために仕事をするのか? それとも、仕事のために生活をしているのか?

趣味などを楽しむために生きているのか? それとも、生きるために趣味などの楽しみが必要なのか?


人それぞれだとは思いますけれど、生活でも趣味でも仕事でも、
生きていないことには出来ませんでしょ?



で、



その「生きる」って何か?



と、考えたとき、取りも直さず私たちは、すべからく生きているわけですから、
最初の言葉のように、その、ただ中にあっては見えないものは多く、外から眺める、
つまり出来る限り冷静に見つめたほうが、的確な見方が出来ると思うんです。



なので、

「生きる」ことを外から眺められたら、俯瞰の視点を持てたら・・・



みなさんは、どこにそれを設定していますか?



三者に委ねるのではなく、自らの視点でありながら、外からの視点になり得るものは?


どの世界に立てば、俯瞰出来得るか?





それが、私にとっては、マイム(アートマイム、オーガニックマイム)という世界なんです。

マイムの世界からの視点が、日常に対する俯瞰の視点なんですね。





マイム(アートマイム、オーガニックマイム)は、



Iam」の状態から全てが始まります。





Iam・・・私が存在する



私たちが、マイムとして舞台に立つ(演技する)とき、
身体と意識を使って、この「Iam」の状態を創る(Iam になる)ことが、大前提なんです。


舞台から降りたとき、はじめて「Iam」から離れて、日常の自分に戻れる。
意識だけでなく、身体の状態も。


(舞台に立つと自然にいつもの自分ではなくなるといった類いのものではありません。)





つまり、


全ては「Iam」から始まる。生まれる。



私「I」が存在しないことには、私にとっては何も存在しないんですね。

その私が、反応したものが、私にとって存在するもの。


と同時に、私とは常に同じものとして存在するものではなく、
様々に反応する、その反応の仕方、反応の状態として、常に変化する存在。




ちょっと、面白くありませんか?




ですから・・・




このマイムでは、見るという行為も、私が見るという能動的行為というよりも、
何かが目に映ったという受け身があって、
その後でモノを見たという能動的感覚を覚えるようにするんです。


そして、見たと感じたから、そこに初めてモノが存在するようになる。
私と関係なく、最初からそこにモノがあるわけではなく、私が見たから、モノが生まれる。


そういった感じなんです。





また、例えば、そのモノに美しさを感じるかどうかも、私次第。
客観的な美しいモノというのは存在しませんでしょ?

私が美しいモノにするかしないか、なんですね。




私を怒らせるような出来事、それも客観的に存在するわけではなく、
私が怒ったから、私を怒らせる出来事になってしまうだけ。

出来事そのものには、怒らせるも喜ばせるもないということなんです。





マイムは何も無いところに、何かしらを生み出すわけですけれど、



全てはこのように、自分の反応

(動きではありません!)

として

生み出しているんです。






これって、日常と同じではありませんか?




全ては、「私」が存在することから始まり、

「私」の反応が「私」にとっての価値や意味を生み出す。



しかも、実は、そのように反応するのが、「私」。



「私」自体に、特に意味や価値があるわけではなく、「私」は、ただ反応する存在。





そして、存在といいますのは、感覚と言い換えてもいいと思うのですが、
それは身体と意識とを分けられない領域。




ですから、


感覚の変化がイコール「生きる」


ということになるのだと思うんです。





私たちが日常で生きているというのは、感覚の変化が絶え間なく起こり続けているということ。





同じように、このマイムが舞台で存在して生きるためには、


演者の感覚の変化(動きの変化ではない!)が

絶え間なく起こり続ける必要があるんですね。





ここでひとつ、日常の些細なことですけれど、
例えば、コップを持つとしまして、
手がコップに触れた瞬間、材質や厚みや強度などを感じ取って、握る力を(ほぼ無意識に)加減し、
持ち上げるときには、重量を予測して必要な力と勢いを調整しているはずなんですね。


なので、思いがけず軽かったりすると、わ〜っ!?と、すっぽ抜けたような感じになってしまう。


そんな経験、一度はありますでしょ?





マイムは、こういった日常ではほぼ無意識の行為も、
意識的に肉体の細かい変化や感覚の変化を使って、創り出していくんです。



(その変化を受け身的に感じる力がありませんと、ジェスチャーになってしまいます。
それが、動きではなく、反応ということなんです。)




ですから、



アートマイム、オーガニックマイムという世界を経験しますと、



日常では当たり前になってしまっていることさえ、


鮮明に体験できるようになるんです。






こういった、自分の身体や動き、果ては感情まで、その詳細を感じ取っていくといいますと、
ヴィパッサナー瞑想を思い起こす方もいらっしゃるのではないかと思います。





マイムをしていなくても、誰かからこのような話を聞いたり、
本で読んだりして知ることはあったかもしれません。

けれど、自分では発見出来なかったと思うんです。

たんに、そういうものかと、他人の言葉を信じるだけだったと思うんです。




このような、

言葉だけでの知るという理解、つまり、他人の言葉を信じるだけで、

体での理解になっていないもの。


それは宗教のように感じます。




自分の体での理解になるかどうか?



(私がマイムを語る際の、一見、抽象的な演技論や精神世界・スピリチュアル系の言葉が、
体での理解を伴わない言葉として、ひとり歩きしてしまう危険性はいつも感じます。)



パントマイムという言葉の語源は「全てを真似る」なのですが、
その「全て」が意味するのは「生命」だと私は考えています。



アートマイム、オーガニックマイムは私たちの「生きる」を真似るものなんです。



それは、「生きる」を俯瞰で見たり、顕微鏡で見るようなもの。



日常のただ中にあっては見えてこないものを、外から見るための世界、
それが私にとってのマイムの大きな意味になっているんです。




「マイムから心と身体の平和を」というのも、そこから生じる言葉。




人前で表現するしないにかかわらず、多くの人に、
マイムの世界から、自分の「生きる」を見つめる楽しさを知ってもらえたらなと思います。

そんな仲間がひとりでも、増えたらなと思います。



今月末の公演、ぜひ足をお運び下さい。
お待ちしております。




   11月30日 『マイミクロスコープ 〜夜のアートマイム劇場〜


              新作 「羽」

                 https://www.facebook.com/events/889597824428260/




  11月15日 『声(音)を体に響かせる〜自分の真実に出会う

                 https://www.facebook.com/events/1671561086423241/




    11月19日 『顔呼吸・丹田呼吸 〜表現力に自信を〜

                 https://www.facebook.com/events/534577266700027/




  12月3日 『声(音)を体に響かせる 〜自分の真実に出会う

                 https://www.facebook.com/events/1627975537476174/




  12月6日 『エモーショナル・ボディワーク 〜 感情と身体〜

                 https://www.facebook.com/events/1685062018446643/
                 



           12月13日 『原始歩き同好会

                 https://www.facebook.com/events/1675269659377807/




       
   12月13日 『動作塾』(今月のテーマ「キック・蹴り」)

                 https://www.facebook.com/events/1513821935609074/





Body,Mind&Spirit 

本当の自分の身体は天才だ!








マイムから心と身体の平和を


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