表現ということではなく、運動や身体の使い方といった稽古やレッスンの場で、よく
「◯◯をイメージしてみて下さい。」
といわれませんか?
それで、その求められているものが実現できてしまうようならば、いいんですけど、
大抵は難しいですよね?
そもそも、指導者側も、その投げかけで、
本当のところ、どんな動きを求めているのか?
◯◯をイメージして動いて下さいと投げかけつつも、
本当に◯◯っぽいことを求めていない場合もあるんですよね。
もう7年くらい前でしょうか、ある女性のピラティス指導者になるための課題である
模擬レッスンの生徒役として、レッスンを何度か受けたことがあるんですね。
もう詳しいことは覚えていないのですが、脚を上げるときに、
最初はきっと普通に上げたと思うんです。
それに対して、その女性は
「羽のように上げて下さい。」
と。
そこで、私は当然、羽のように脚を上げたんです。
もちろん、装飾的な動きではなく、ただ、羽のようにふわ〜っと。
ところが、どうも、それは彼女の求めている動きの質感ではなかった。
本当に羽のようにふわ〜っとなってしまっては、いけなかったようなんです。
彼女曰く、
「そんな、本当に羽のように上がる人なんて、いませんよ〜(笑)
そうではなくて・・・・」
で、詳しく本当に求めている動きを確認しあったことがあるんです。
つまり、
イメージというのは、あくまで方便ですから、
それによって、どんな動きをするのかは、全くの自由といいましょうか、
すごく幅があるんですね。
ということは、その◯◯をイメージしてという言葉で、
実際のところどんな動きを求めているのかが、はっきりしていませんと、
目的が果たせません。
ただの思い込みの動きに終わってしまいますよね。
例えば、良い姿勢、基本姿勢ということで、よくいわれます
「頭から吊られているように立って下さい。」
というものも、イメージに過ぎませんから、
実際のところどんな動き(この場合は形、姿勢)を求めているのか?が、
重要なんです。
この投げかけで本当に頭から吊られているように立てる人なんて、普通はいないんですよ。
踊りを長年やっている人ですら立てていないものです。
身体の使い方や運動を長年指導している人でも。
結論からいいますと、
イメージすることではなく、
”頭から吊られているような感じがする立ち方”
の練習が必要なんです。
練習法は1つではないでしょうけれど、少なくとも、イメージして動くのではないんです。
そのイメージは、結果なんです。
結果として、頭から吊られているように立っている、
”という表現もできる”
というに過ぎないのであって、
別の表現でも何でもいいんです。
「◯◯をイメージして」という投げかけが良いとか悪いということではなく、
本当に求めているものは何か?に目を向ける必要があるということなんです。
そうでありませんと、それは単なる
「表現ごっこ」
になってしまいます。
「頭から吊られているように立つ」という”表現”を、
それぞれが勝手な思いでやっていることになってしまうんです。
「頭から吊られているように立つ」ということと、
「頭から吊られているように立つという表現」とでは、
似て非なるもの。つまり、全く違うもの。
一見似ているだけに質が悪いともいえます。
「◯◯をイメージして」を実現する練習法を、持っているか?提示できるか?
11月30日 『マイミクロスコープ 〜夜のアートマイム劇場〜』
新作 「羽」