オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

内面のエネルギーと肉体のエネルギー、そして 観客に伝達すべき情報エネルギー。

アートマイムと舞踏の違い・・・



先日の『SILENCEOF THE BODY』最終日の「アートカンファレンス」で、


このことについて質問が出ました。


ここで、私の言葉でお伝えしようと思います。

(あの時は、既に時間オーバーでした。。。)





アートマイム(私のところではオーガニックマイム)は非常に、舞踏に近しいものがあります。

「内面を身体化する」

といった点において、共通するものがあるように思います。





私が自分の師匠であるテリーさんの作品を初めて観たとき、舞踏っぽいなと思いましたし、

今回の公演『SILENCEOF THE BODY』でのステファンさんの作品も、


舞踏っぽいと思われた方もいらっしゃるでしょう。

そして、私の作品も時に、舞踏のように思えるようです。



逆に、私が舞踏の公演を観に行きますと、マイムっぽいところがあるなぁ、と思うことが多い。




やっている側の人間ですら、そうなんですから、一般の方からしましたら、

それこそどこがどう違うの???ですよね。




アートマイム、オーガニックマイムと舞踏の違い・・・

私の考える決定的な違いは何か?それは・・・




動きの動機を見せるのかどうか?




です。




マイムは演者が動く際、その動機を見せます。

むしろ、そのことが最も重要なんです。





例えば、A地点からB地点まで移動する場合、

マイムの場合、なぜ移動するのか?その理由が観ている人に分かるような動きをします。

触りたくて近づくのか?匂いを嗅ぎたくて近寄るのか?嫌なものから遠ざかるためなのか?・・・



目的、動機がない限りは一歩たりとも動くことはないんですね。




そしてもちろんのことですけど、その移動中の動き方も、その動機によって自ずと決まってきます。

なぜなら、その動き方によって、動機を示す必要があるからです。





ごく簡単に言いますと、

匂いを嗅ぎたくて近寄るのでしたら、鼻から近寄る。といった具合です。



近づいていって匂いを嗅ぐ、という行為とは全く異なります。

その場合、鼻から近寄ってはいけない、というだけでなく、

他の何が近づかせる力となったのか、見えてくる動きをしなければいけないんです。





これが舞踏の場合ですと、動機を見せることを目的とした動きである必要はありません。

A地点からB地点までを、どのように移動するかが重要といったらいいでしょうか?

(と、私は解釈しています。)





芝居とダンスの違いを考えると分かりやすいと思います。

芝居の場合、演者が右手を上げたとして、観客はその理由を求めますでしょ?

ダンスの場合には、同じように右手を上げたとしましても、特に理由は求めませんよね?




マイムは、芝居なんですね。

ですから、観ている人が求めるはずのその理由を、提示していかなければなりません。

そういった意味で、マイムにおける動作は1つ1つ全てに意味があり、

その意味を観ている人に分かってもらうことが重要ということになるんです。



右手を上げたことを見せるのではなく、

どういう理由(動機)で右手を上げたのか?を見せる


と言ったらいいでしょうか?




ですから、それが安易な方に流れてしまいますと、

ジェスチャーのようになってしまうわけですね。

(安易という言い方が悪ければ、単なる情報伝達、説明的という言い方もできます。)





例えば、「頭上に広がる青空に悦びを感じている」という表現をする際、

(基本的には)両腕を広げて上を見上げて悦びの表情を浮かべるのがマイムで、

舞踏の場合、そういったジェスチャー的な動作は必要無く、

本人がそれをどれだけ本当に感じているかが重要になりますから、

端から見た場合、頭上に広がる青空に悦びを感じているとは読み取れないかもしれないわけです。





実際、この表現といますか動作を、

先日の公演『SILENCEOF THE BODY』での「国際アートマイムワークショップ」で、


受講者の方々にやってもらったのですが、誰にとっても非常に難しいんですね。

何が難しいか?




どうしてもジェスチャーになってしまうんです。


そんなこともあってか、舞踏家である女性は、

敢えて両腕ともぶら下げて、目線や表情も説明的なことはせず、

彼女の言葉によれば「自分に嘘が無い」ようにとしていました。




もちろん、私からは彼女が「頭上に広がる青空に悦びを感じている」ようには、

全く見えません。

良し悪しではなく、これがマイムと舞踏の違いです。




もちろん、舞踏でも「両腕を広げて上を見上げて悦びの表情を浮かべる」こともあるかもしれません。

けれど、それは、「そうすることもある」ということで、

基本的に動きは自由です。





マイムはそういう意味で、

自由はありません。

観る人に、演者の意図が伝わらなければいけない、ということのために、

どういう動きをするかに制約がかかるわけです。





ところで、この「青空」の演技ですが、舞踏の彼女曰く、

JIDAIの表現には嘘が見られないと。

他のワークショップ受講生はもちろん、彼女自身も、

「両腕を広げて上を見上げて悦びの表情を浮かべる」と、嘘になってしまうのに、

なぜなんだろう?と。





・・・そうなんです。

それが、アートマイムであり、オーガニックマイムなんです。




私たちのマイムでは、動きは全て演者の内面のエネルギーが生み出しているので、

一見ジェスチャーのようなものでも、そこに自分自身に嘘がないのはもちろん、

端から見ても嘘はないんです。





どうして、端から見ても嘘がないように見えるのか?



それは、身体を消しているからなんです。




極端な言い方かもしれませんけれど、私たちのマイムは、

身体を見せるために動くのではなく、

身体を消すために動くんです。





ですから、普通の人にはジェスチャーにしかならない動きであっても、

私たちのマイムで行ないますと、観ている人には、ジェスチャーの持っている

「情報」だけが伝わり、

身体の形は消えてしまう。





そうすることで、ただただ、


演者の内面の世界と、

演者が見ている外に広がる世界だけが浮かび上がるわけです。




つまり、観客にとって、演者が消えて、目に見えないものが見えるようになるんですね。





これは、思いを強く持ったからといって出来るものではありませんし、

身体を自由に動かせるようになったからといって出来るものでもありません。

内面のエネルギー、肉体のエネルギーだけではマイムにはならないんです。





内面のエネルギー肉体のエネルギー、そして

観客に伝達すべき情報エネルギー

3つを融合させる、



そのトレーニングを積んでいった結果、獲得できるのが

アートマイムであり、オーガニックマイムなのです。






最後に私なりの解釈でのまとめを。




芝居は、

内面のエネルギーと情報エネルギー(主にセリフ)の融合に注視。

(芝居は、内面のエネルギーがセリフにどれくらい乗っかっているかが大事ですよね?

棒読みじゃあ困ります。)


舞踏は、

内面のエネルギーと肉体のエネルギーの融合に注視。



アートマイム、オーガニックマイムは、

内面のエネルギーと肉体のエネルギーと情報エネルギー(身体)の融合に注視。




理解の助けになればと思います。









Body,Mind&Spirit 本当の自分の身体は天才だ!




マイムから心と身体の平和を


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