動きの練習をしなければ、動けるようになりません!
一見、当たり前のように聞こえると思うんですけど、
実は当たり前になっていないのが現状なんですね。
漠然と動いていても、良い動きにならないであろうことは、誰でも承知のこととは思うんですけど、
踊りの練習を一生懸命、丁寧にやっていたら上手に踊れるようになるのか?
スポーツでも音楽でも、何でも・・・
一生懸命、丁寧にやっていたら上手くいくのか?
そうなんです。上手くいきません。
全く無理とは言いませんけれど、極めて難しい。
もちろん、それなりには上手くいきます。
しかし、あくまで、「それなりに」です。
「それなりに」には、
持って生まれたセンスが大きく影響してきてしまいます。
あるふたりが、仮に同じ練習量で、同じように丁寧に取り組んでいたとしましても、
差が出てしまうであろうことは、想像がつきますでしょ?
このセンスって、何でしょ?
それは、
身体動作(呼吸も含めて)の正しさに対する感覚。
そんなふうに言っていいと思うんです。
正しさ…唯一絶対の正解があるのかどうかは、一旦置いておくとしまして、
人間の体の構造(骨格、筋肉、靭帯、関節など)を見た場合、
かなりの程度で、正しさというものが存在すると考えていいと思いませんか?
骨で重さを受ける、伝える。関節にはそれぞれの構造があり、骨は筋肉で動かされる。
靭帯は完全固定ではなく強力なゴムバンドとして関節の可動性を許し、
筋肉は意識的に動かすことと、伸張反射という物理的な反応があり・・・
自ずと正しさに導かれるはずですよね。
そこで、センス、つまり身体動作(呼吸も含めて)の正しさに対する感覚ですけれど、
例えば、前屈(おじぎの姿勢)。床に手が届くとか届かないとか、ありますよね?
これ、人によって身体の使い方が違うんですね。
きちんと股関節から曲がっていく人と、腰を曲げようとする人。
センスでいいますと、当然、前者が良く、後者は悪い。
(礼儀作法って、実はセンスを良くするものなんですよ。)
もうひとつ例を。
走る際の腿上げ(膝の引きつけ)。
意識的に大腿直筋や腹筋群を使って上げる人と、腸腰筋の伸張反射を使える人。
前者が悪く、後者は良い。
どうでしょう?
いわゆるセンスの悪い人は、こういったことが体中であらゆる動きの際に起きているわけです。
すると、自分で一生懸命、丁寧に練習するときも、当然その動作感覚のままなんですね。
それで、ある程度動けるようになったとしましても、それは構造にとっては誤りがあるわけで、
ケガや故障、疲労の頻度の増大は当然なんです。
ケガや故障、疲労の頻度の増大が、
動けるようになることと引き換え、
交換条件になってしまうんですね。
ところで、センスが悪いと言ってしまいますと、なんだか取りつく島がなくなってしまいますけど、
身体動作(呼吸も含めて)の正しさに対する感覚に勘違いを起こしていると言えば、
取り組み方があると思いませんか?
どうしたらいいか?
そうです!
身体動作(呼吸も含めて)の正しさに対する感覚を磨けばいい!
これが、冒頭で言いました、動きの練習です。
言い換えれば、センスを良くする練習ですね。
何だか楽しそうじゃありません?
私のクラスはどのクラスでも、基本これを行なっているんですよ。
で、この練習ですけれど、一番重要なことは、何だと思います?
それは、動くことの本質に迫ること。
動きの本質・・・私にとりましても生涯続く探求ですけれど、動くというのは、どういうことか?
それは、エネルギーの移動。
長くなりそうですね(笑)
このお話はまた次回。
『表現者のための呼吸 心と身体のワークショップ』
Body,Mind&Spirit 本当の自分の身体は天才だ!