オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

バレエとマイム

バレエに携わっている方のブログを見ますと、マイムというものには馴染みがあるようなんですけど、「マイムのところが、面白かった」「マイムが多過ぎて云々かんぬん・・・」など、マイムを独立したものとした感じで書かれていることが多いようです。


やはり、マイムというのは「踊っていない」ところで「ジェスチャー」や「顔の表情」で「ストーリーを分らせるための無言芝居」をするもの、といったところなんでしょうか?

・・・う~ん、、、当たり前かな?
むしろ、それ以外、何がマイムなのか?それがマイムでしょ?
・・・ですよね。

そう、以前の私でも、やはりそう思ったでしょうね。

でもね、でもね、、、

そうじゃないんですよ。

ほんとに、そうじゃないんです~~~!!!
なんです。

・・・思わず興奮してしまいました(笑)
と言いますか、バレエに限らずなんですけど、マイムというものを狭く捉えてしまうのはもったいないと思うんです。これは、見る側の人だけでなく、当然踊りをされている人にとっても。

極端な言い方をしますと、バレエの中にマイムが出てくるというのではなく、バレエがイコール、マイムとなれればなるほど魅力的になると思うんですね。

私はバレエに関しましては素人ですけれど、以前NHKで放映されていました、吉田都さんが指導されていた『スーパー・バレエ・レッスン』なんかを見ていた時には、踊ることと演じることの境目をなくすことが大事だというのが、よく伝わってきました。

そして、それが簡単ではないことも。

吉田都さんのような魅力的な踊り手さんは、私たちのマイムの立場から見ますと、バレエの形を借りてマイムをしているんです。
もちろん踊りは見せているのですけど、むしろ内面を見せている。

けれどそれは、踊りが上手で、演技も上手、というような、身体的な技術と内面が別物であるような捉え方ではないんですね。
私の造語ですけど、身体演技なんですね。つまり、マイム。

ここは分りづらいところかもしれません。
例えば、私の日本舞踊の師匠は、「踊るな。演じろ。」と言います。けれど、同時に「演技でごまかすな。」とも言います。そして「身体を遣え。」と。

こういうことなんです。

「・・・・・・?」

ですよね。。。

これ、分っていただくにはクラスに来て下さい!(笑)

・・・続けましょう。
私の言う身体演技、マイムといいますのは、ジェスチャーでも無言芝居でもないんですね。
内面を身体的技術に昇華して表に出す行為なんですね。(少なくとも、私たちのオーガニックマイムでは。そして、それがアートマイムだということなんです。)


きれいに動くことが目的ではない。
けれど、身体を遣うことで、結果として美しさが立ち現れる。

その気になって動くことでもない。
けれど、身体を遣うことで、内面が立ち現れる。

そして、見る側は演者、踊り手の役柄としての内面に目が行くようになる。
(演者、踊り手の頑張りに目が行くのではない!ここ大事。)


もちろん、といいますか残念ながらといいますか、これはパントマイムの世界でも、一般的には身体演技という考えがありませんから、「特殊な身体技術+個人の魅力その他諸々」ということでのアピール方法ばかりになってしまうんですね。

これは、「芸」なんですね。
いわゆるパントマイムが「芸」として見られているというのは、至極当然のことなんです。

もちろん、「芸」が良いとか悪いという話ではありませんで、パントマイムに限って言いますと、そればかりというのが寂しいということ。
で、バレエに話を戻しますと、バレエを「芸」としたいのかどうか?ということだと思うんです。

(ちなみに、フィギュアスケートのキムヨナ選手は「身体演技」で、浅田真央選手は「特殊な身体技術+個人の魅力」タイプです。)

「バレエをやっている」なんて人に言いますと、「じゃぁ、脚が180度開くんだ。見せて見せて!」なんて言われたりすると思うんですけど、これはある意味「芸」として見られているということですよね?

「芸」は大事です。
大事ですけれど、「芸」は前提だと思うんです。少なくともバレエはそこを競うものではありませんでしょ?(フィギュアスケートは微妙ですよね。)

そうであるならば、例えば、同じ脚を開くにしても、その役柄の内面と同調したものになっている必要があるわけです。つまり、脚にも心があるかのように開いていくといいなと。

で、そうなりますと開脚が脚の問題だけではなくなってくるわけです。
内面の問題になってくる。

脚の運動と捉えたのでは実現し得ないリズムや間のようなものを、内面のあり方によって生じさせるわけです。
もちろん、脚だけではなく全身、頭の先から指先までが内面を表しつつ。

別に脚をどう開くかだけのことではありませんよ。何か取るために手を伸ばすという動作でも、感情を表すものでも同じこと。非日常的な動作、姿勢でありながら、むしろそのこととの相乗効果で、内面をくっきりと浮かび上げ、美しく表現するわけです。

この辺りが、いわゆる役者さんの演技との違いですね。
役者さんは内面がにじみ出ることを目指し、身体演技を必要としていない印象を受けます。
日本舞踊の「演技でごまかすな。」「身体を遣え。」というのが、よく分ると思います。

身体演技というのは、「踊るな。演じろ。」と言われるように、踊りに見えてしまってはいけない上に、演技でごまかすようなものでもない。

ですから、それは、技術であって技術でない。技術でないけれどやはり技術。なんだと思うんです。

そして、この技術の程度によって、バレエで踊りながら演技をするのか?それとも、バレエの形での身体演技となるのか?の違いになってくるのだと思います。


バレエに携わる方々に、もちろん、バレエ以外の方達にも、マイムというものを、このような身体演技として捉えていただきますと、嬉しいなと思いますし、すごく楽しめると思うんです。



最後に・・・だいぶ前に知り合いから聞いた話ですけれど、ローザンヌバレエコンクールで何か賞をとった日本人女性が、海外の大きなバレエスクールに留学したところ、マイムばかりさせられて、「私はマイムを習いに来たんじゃない。」と帰国してしまったとか、しなかったとか。

日本とではバレエの考え方が違うんでしょうね。
今はどうなんでしょう?





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