オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

自然なかたちを手に入れる~デザイナー山中俊治氏の言葉から

デザイナーの山中俊治ツイッターで曰く、


「デザインに生物の形を引用する時は、その形の意味をよく知る必要がある。そこから必然のエレメントを抽出し、充分に抽象化して用いる。自然なかたちを手に入れるために。」



パントマイムは「全てを真似る」という意味が語源になっていまして、一般的にはジェスチャーと混同され、何か見た目を真似るように思われているようなんですね。
山中俊治氏の言う「形の引用」ですね。

これは、観る側の人だけでなく、パントマイムをしている人でも、同じだと思うんです。(パントマイムを始める前は、観る側だったんですものね。)
正直、私も今のマイムに出会うまでは、そこを深く考えたことはありませんでした。



けれど、そうではないんですね。



山中俊治氏のツイッターにある「形の意味」というもの無くしては、私たちのマイム、オーガニックマイムは成り立たないんです。



例えば、マイムの誰もが知っているマイムウォークという、歩いているように見せるテクニックについて取り上げてみますと、一般的には「腕と脚がそれぞれ交互に前後に動く」ということになります。



けれど、これはあくまで結果として起きる動き(形)なんですね。


別の言い方をしますと、「腕や脚を動かすから前に進むというわけではない」ということなんです。


・・・?


かもしれませんよね。




極端な例を思い浮かべると分りやすいと思うんですけど、腕や脚の無いいわゆる障害を持った人も、立って歩けますでしょ?(お尻歩きでもいいんですけど・・・)


つまり、人が歩くのに本当に必要なのは、無くてはならないのは、背骨とそれに付随しての肩甲骨と骨盤。
ここでは体幹としておきますね。


ですから、体幹の動き方こそが、マイムウォークでは重要になるわけです。



体幹の動きの無い腕と脚を前後に動かすだけの一般的なマイムウォークが不自然なのは、当然なんです。
(不自然が悪いというわけではありませんよ。不自然だからこそ面白い。その面白さを表したいということもあるでしょうし、あくまで記号としての表現をしたいとうこともあるでしょうし。)





で、また山中俊治氏のツイッター。最後のところに「自然なかたちを手に入れるために」とありますでしょ?

そう、まさにここなんです。
形を真似てしまいますと、それは不自然なものになってしまうんです。

私たちのマイムでは、自然さを大事にしています。
ですから、マイムウォークでも不自然な歩きを見せるのではなく、自然な歩きを目指して体幹の動きで歩けるように訓練していくわけです。




ところで、どうして、自然さを大事にするのか?
マイムに自然さなんて必要無いんじゃない?と思われるかもしれませんよね。


それは、動きを見せたいわけではないからなんですね。
表現している内容を感じてもらいたいからなんです。
けれど、動かずには伝えられません。動きでしか伝えられません。

ですから、動きは無色透明で、内容を感じてもらうための黒子役になってもらわないといけないんです。



これはマイムウォークのような分かりやすいマイムテクニックでなく、内面・感情の表現でも同じこと。
こういったものを見た目の形に頼ってしまいますと、まさにフリの演技になってしまい、観ている人の心を引き込み同調させることは難しくなってしまう。演者が何を表現しようとしているかを理解させるだけになってしまう。歩いているフリ、怒っているフリ・・・などなど。



ですから、マイムテクニックでも内面・感情の表現でもいずれも、「必然のエレメントを抽出し、充分に抽象化して用いる」のか用いないのか?で、その両者が、結果、それほど違う形にならなかったとしましても、やはりそれは伝わるものが全く違うんですね。


これは、絶対に分ります。
形を表面的に真似ているものと、形が必然の結果として現れているものと、やはりそれはばれてしまうんですね。




形というのは、意識レベルで捉えているものです。それに対しまして、形を生み出すに至ったエネルギー、山中氏の言葉でいう「必然」は、無意識レベルで捉えているようなものだと思うんですね。




表現者は、その無意識レベルで捉えているものを、自分の意識レベルに浮かび上がらせ、その上で、もう一度「形」にするわけです。




そうすることで、一見似たような形でも、全く違うものになり、それは何が違うのか言葉では表せないけれど、全く違うということだけは明らかだ、というものになるんですね。



「姿形」という言葉がありますでしょ?
その「姿」に当たるものが、この意識と無意識の狭間を通って来た後の形なんだと思うんです。



私はそれが美しさになるのだと思うんですね。
形を上手に真似たのでは、きれいにはなっても、美しくはならないと思うんです。


人間が創る形、動きに自然な美しさを持たせるには、それしかないんじゃないかなぁ。
(そもそも、「自然な美しさ」という言葉はあっても、「自然なきれいさ」という言葉はおかしいですものね。)




きちんと実現出来るよう、精進、精進。




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