「体験できないモノを美しくデザインするために必要なものは、
深い観察と洞察によって生み出されるリアリティの感覚である。
多分それは、映画監督や小説家のそれに近い。
平野啓一郎さんが義足の小説を書くことと、私が義足をデザインすることは、
ある意味同じなのだと思う。」
「デザインは、ある意味フィクションである。
しかし深い現実洞察に基づくデザインは、しばしば、現実をしのぐ。
優れたデザインは現実にフィットするだけでなく、
現実そのものを変えてしまう力を持っている。」
この中の「デザイン」という言葉を、身体表現、マイムとして
「身体演技」に置き換えると見えてくるものがあると思うんです。
ちょっと中を抜いてしまいますけれど・・・
「体験できないモノを美しく身体演技するために必要なものは、
深い観察と洞察によって生み出されるリアリティの感覚である。
身体演技は、ある意味フィクションである。
しかし深い現実洞察に基づく身体演技は、しばしば、現実をしのぐ。」
どうでしょう?
なんか、凄いですよね。
私も自分で書いて、読んでいて、「う~~~ん。。。」と唸ってしまいますわ。
けれど、実際のところ、こういうことだと思うんですね。
私たちが自分たちのマイムを敢えて「オーガニックマイム」と呼ぶのは、こういうことなんです。
私たちは自分のカラダ、動き、つまりは身体演技をこのような意味で、デザインしなくてはいけないんですね。
なぜデザインするのか?
「リアリティを持たせることで、現実をしのぐ」
ですから、身体運動の面では、当然美しくありたいんですけど、単なる美しさを目指すのではないんです。
なぜ?
それは、いつもお話しているように、美しさを見せたいわけではないからです。
(バレエやダンス出身の人は、このマイムをする際、この点でとても注意が必要になります。)
また、演技の面では、当然リアリティを持っていたいんですけど、それは単なる思い込みやリアルというものではないんです。
なぜ?
それは、舞台という虚構の中での真実を生み出すためなんです。
(役者さんは、この点で注意が必要になります。)
私たちはダンサーであり役者でなければいけないけれど、同時に、ダンサーであってはいけないし、役者であってはいけないのです。
マイムにはマイムの技法があります。
絵を描いたりデザインぽいことは誰でもできますけれど、真に絵を描いたりデザインするのは容易ではないように、マイムっぽいことは誰でもできますけれど、真にマイムになるのは容易ではない、ということなんですね。
真のマイムになるには、リアリティの感覚が必要不可欠でして、それは取りも直さず、肉体感覚です。
(思い込みになりやすいんですね。)
リアルではなく、リアリティといいますのは、本質であり純度を高くしたものということでして、例えば、走るという行為の場合ですと、決して脚を速く動かしたり腕を一生懸命に振ることではなく、身体が宙に浮く瞬間があるということや、前方からの空気抵抗が大きくなるということ、地面に加える力(反力も)が強くなることなんですね。
ですから、マイムの場合そういったこと(質感)を体現する必要があるんです。
その場で手足を速く動かしたり、足をさっさか後ろに滑らせて走っているフリをすることとは全く異なる行為なんです。
そしてそれ以外の、例えば、息が荒くなるとか疲れるといったようなことは、基本的には関係ありませんから、必要に応じてプラスαの情報として付け加えて演技するんですね。
山中氏の言われる深い現実洞察・・・私がどの程度出来ているかは分りませんけれど、この走るマイム、多少は伝わりましたでしょうか?
最後に、
身体演技をデザインするとは、つまりマイムとは、
余計なことをしない。
必要なことはクローズアップさせる。
美しくまとめる。
目指したいですね。
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