おそらく、世の中の大多数の人は、平和で幸せな社会を願っているのだと、思うんですけど、どうして、不幸な考えをしてしまうんでしょうか?
不幸だと感じてしまう、ということではありませんよ。
不幸に向かう考え方、をしているということです。
平和で幸せな世界に、死刑はあるのでしょうか?
平和で幸せな世界に、嫉妬・羨望はあるのでしょうか?
平和で幸せな世界に、優越感・劣等感はあるのでしょうか?
平和で幸せな世界に、勝ち負けはあるのでしょうか?
平和で幸せな世界に、犠牲はあるのでしょうか?
平和で幸せな世界に、後悔はあるのでしょうか?
とまぁ、私自身にとりましても、大変耳の痛い言葉ではあるんですけど・・・
けれど、これらを止むを得ないと考えてしまいますと、それは、やはり不幸に向かっていると、言わざるを得ないと思うんです。
例えば、ボランティアというのは、一見素晴らしいですけど、もしボランティアによって、その人自身が救われないのでありますと、そこには「犠牲」が生まれますから、不幸を作っていることになりませんでしょうか?
もちろん、ボランティアを受けた人の喜びが、その犠牲の度合いを上回っているのでしたら、社会全体で見ますと、不幸を作ってはいないのかもしれませんけど・・・
やはり、個人において、犠牲がたまることは、不幸だと思うんです。
で、個人が不幸で、社会が幸せなんてことは、やはりあり得ない。
ボランティアする人にとって、犠牲を打ち消すだけの喜びがあって初めて、平和で幸せな社会の中での、ボランティアになるんだと思うんです。
平和で幸せな世界に、過労はあるのでしょうか?
平和で幸せな世界に、疑いはあるのでしょうか?
全てが止むを得ないのだとしたら、止むを得ないなりに、先程のボランティアのあり方のように、
平和で幸せな社会の中で、どのようにあるべきかを、考えるしかないのではないでしょうか?
平和で幸せな社会での、刑罰のあり方とは?
平和で幸せな社会での、競争のあり方とは?
平和で幸せな社会での、労働のあり方とは?
う~んんぅぅぅ、、、不幸せになるのは簡単ですけど、幸せになるのは、大変そうです。。。
私は私の中の、不幸せな考えをしてしまう私に、日々問い続けなければいけませんね。ふぅ、~。