オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

「心の変化」「体の変化」

ポーリッシュマイムの特徴について、よく聞かれるのですが、これはなかなか一言では・・・

同じパントマイムですし、パントマイムでなくても、どんなものでも行き着く先、目指すところは似たようなものでしょうから、

「あぁ、他のパントマイムと一緒ですね。」

となってしまいやすいんですよね。

う~~~んん、、、

ポーリッシュマイムで非常に重要なものの1つに、「変化」ということが挙げられますでしょうか。

極端な言い方になってしまいますけど、ポーリッシュマイムにおきましては、体を動かすことは目的ではないのですね。

体を動かさないパントマイム???
あの、道で銅像のように、止まってる人のこと???

いえいえ、もちろん動きはしますけど、「内面の変化」の結果が、動きとして表に出てくるということなんです。

「動き有りき」ではない、ということなんですね。

で、だからと言って、イメージを体現するかと言いますと、そういうこととも違うんです。

イメージといいますのは、頭の中での出来事。どこか知的な分野のような気がします。

たとえば、バラの花をイメージしたとしましょう。
できるだけ詳細にイメージします。色、艶、香り、数に大きさ・・・なんでもいいんです。

なんでもいいんですけど、正直申し上げまして、どんなに詳細にイメージしましても、そのこと自体は何も生み出しません。

どんなに素晴らしいはっきりとした絵が、思い浮かんだとしましても、それは二の次。
「内面の変化」にはならないんです。

では、何が大事なの?ってことになりますけど、それは、それに伴う「感情」。

最も、単純な言い方をしますと、快か不快か、どちらを感じたか?ということなんです。

先程の映像として思い浮かべるといいいますのは、単なる事実・現象といったものに過ぎませんで、それに対して、何の思い入れも無ければ、その事実・現象は、その人にとって、意味はありませんでしょ?

存在しないのと同じ。

(日常と一緒ですね。花に全く興味の無い人には、どんなに美しい花も、目には映るかもしれませんけど、ただそれだけのこと。)

あくまで、そこにどんな思いがあるのかが重要でして、それは、感情とは違う、たとえば固そう柔らかそう、といったようなことでもいいんです。
とにかく、何を感じ取っているのか?ということが、大切なんですね。

その感じ取った思いといいますのは、頭の中での出来事ではなく、心の分野だと思うんです。

そして、この心の変化が、体の変化として現れるようになるわけです。(ここも、マイムと関係なく、日常と同じですね。心の変化は必ず、体の変化を伴います。)
ポーリッシュマイムの場合、言い方を変えますと、この心の変化を体の変化によって見せるのです。

ここは重要!
もう一度繰り返しますね。

心の変化を、体の変化によって見せるのです。

セリフ劇でしたら、心の変化は、声の変化になるでしょう。

バラの花を見て「わぁ、きれい!」と思ったとしまして、その「わぁ、きれい!」はひと息で言ってしまうものなのか?それとも、「わぁ、」と「きれい!」で息が変わるようなものなのか?

また、「わぁ、」は一気に「わぁ、」なのか?それともクレシェンド(徐々に大きくなる)的なのか?

など、いろいろな言い方があると思うんですけど、それは、単に技法の問題ではなく、「思い」の違いによるもののはずですよね?

ポーリッシュマイムでは、この「思い」の違いを、声の変化ではなく、体の変化で表すわけですね。
ただ、思い込むのではなく、明確に他の人が分かるように、体を変化させるんです。
それも、体の一部ではなく、必ず全身の変化によってです。

(ここも日常と同じでして、体は全て繋がっていますから、一部だけの変化ということは、厳密には有り得ませんでしょ?)

とまぁ、長~くなってしまいましたけど、直接お話をしている時には、どうも上手く説明出来ませんで、何とか、きちんと伝えられないものかと思いまして・・・ふぅ~。。

で、ここまで読み進めましたでしょうか?・・・?