このコーナーでは身体の使い方や意識のあり方など、自分独りで解決できることのお話が多いと思いますけれど、
マイムの面白さはやはりそれだけではありませんで、作品をつくるという面白さはまた格別なんです。
自分の全く知らない人に作品を観てもらうということは、これはとんでもないことだと思うんですよ。
否応無しに他人の目というものを意識せざるを得ません。
自分の感覚
と他人の感覚
との擦り合わせ。
私はここに、マイムの素晴らしさがあると思ってるんですよね。
マイムは・・・特にポーリッシュマイムといいますかJIDAIマイムは、
自分の身体とさらには呼吸や感情を微細に観察しながら、発展的にコントロールしていくものですから、
ヨガやピラティス、整体、瞑想を行っているのと同じなんですね。
ですけれど、ヨガなどそれらが自分独りの世界で成立するのに対しまして、
マイムは他人の世界(感覚)からの視点が必要でありますから、外の世界との繋がりを保ち続けられるということなんです。
もちろんヨガなどをやっている人が、外との繋がりを絶っているということではありませんで、
ただ、その場合の外といいますのは、あくまでいわゆる社交性といった繋がりのことでありまして、
ヨガ自身がもつ外との繋がりではないと思うんです。
私のいう外との繋がりといいますのは、
それ自身が他人の目で検証されるかどうか?ということなんです。
つまり、マイムといいますのは他人の目無くしては、成立しないということなんです。
ですから、マイムで学んだ身体や呼吸、感情のコントロールが、どのくらい他人と共有できるものなのか?
が、舞台の上で試されてしまうんですね。
それも、単に上手い下手というだけではなく、作品という自己の内面の表れを通してということになりますから、
それは自分を見つめるという内に向かう視線のその先が、他人を見つめるという外向きの視線になれているかどうか?を試されるということにもなるんです。
その上での上手い下手があるわけです。
こんなふうに外の世界との繋がりを否応無しに持たざるを得ないということは、やはり「表現」ならではですね。
自分独りの世界で完結できるヨガなどの自己鍛練法に比べまして、
身体のことでも心のことでも、呼吸のことでも、また自分の世界観のことでも、
他人の目にさらされるといいますのは、つらいことでもありますけれど、それだけに真摯に素直になれるという面もあるわけです。
さて、作品といいますのは、自分のいちばん可愛い子どもであり、つまりは自分の分身、いえ、自分というものの凝縮されたエッセンスみたいなものになりますから、
その子が世間でどんなふうに思われるのか?その子がどのくらい世間で役に立てるのか?
それは期待と不安でいっぱいなわけです。
面白くもあり、つらくもあり・・・つらいからこそ面白いとも言え・・・
11月の末から12月の頭にかけ、シアターマイムのフェスティバルがあります。
そこで私はもちろんのこと、JIDAIマイムクラス生が何人もソロ出演します。
みんな今、一生懸命自分の子どもを育てていまして、私も出来得る限りの応援をしたいと思っております。
クラス生の作品は私にとりましては、孫みたいなものですものね。
皆さん、ぜひ観に来て下さいね。
またここで案内させていただきます!
そして、ぜひマイムをやってみたいと思えていただけたらと思います!
こんなに楽しいこと、ないですよ~~~っ!