冥王星が惑星でなくなったことが、ずいぶんと話題になっていますね。平和な世の中です。
昨日まで9個だった惑星が、今日から8個になりましたって、現実には何も変わっていないはずですのに・・・
定義だとか、分類だとか、一体何でしょう?
どこかで誰かが、ある時点で決めただけのことですよね?
今回の惑星騒ぎなんて、その数日前は12個に増える、なんて言っていたのに・・・そう、現実の星たちは、それ以前もこれからも、あるようにあるだけなんですけどね。
テレビや新聞などで、こういった新しい定義付けによって、影響を受ける人や業界の大変さみたいなものが、取り上げられていますけど、そんな週刊誌的な視点ではなく、単なる定義付けによって、まるで世界が変わってしまうかのような見方の変さを、取り上げてほしいものです。
いやいや、むしろ、その変さをまず一番に、取り上げるべきであって、それに翻弄される人々を、「あらっ、大変ねえ~。」って、やってほしいものです。
まあ、私たちの見方が、世界を作っているわけですし、それを現実としているんでしょうから、見方が変われば、現実も変わるわけで、きっと冥王星なんて、無くなるんでしょう。
見ようとしなければ、たとえ目に入っていましても、情報にはなり得ないですものね。
それにしましても、定義に分類、境界線をはっきりとつける行為そのものが、非現実的。この世の中で、白黒はっきりなんて、ありっこないと思うんですけどねぇ。
それを、はっきりさせようとするところに、色々な問題や争いが起きるわけで、曖昧さというものと、上手に付き合う方法こそ、これから求められるべきことだと・・・は~ぁ、どちらかというと、白黒はっきりが好きな私が言いますと、何の説得力もありませんね。。。
でも、ほんとにそう思うんですよね。曖昧さこそが、世の中を救うと。白黒はっきりさせるべく議論を重ねて、重ねて、永遠に議論を続ける。結局いつでも、曖昧の中にいる。
結論が出てしまったら、それは死。解決ではなく、放棄。
と、こんなことを、たとえば今回の冥王星騒ぎのような、身近な話題が持ち上がった時に、テレビや新聞などで言ってくれると、いいと思うんですけどねえ。どうなんでしょ?