オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

楽しい?面白い?

パントマイムでは見せかけの動きは、とっても重要です。
本人が感じていればいい、というものではありません。

と言いましても、感じていないものを、見せかけの動きで表そうとしますと、そこに

嘘が生じてしまいます。

嘘という言い方をしますと、悪いものとなってしまいそうですけど、いいとか悪いということではありませんで、この場合の嘘と言いますのは、本来感じるはずの、肉体的負荷を無視しているということ。

で、上手な嘘の場合、嘘の方が面白かったりします。

例えば、いわゆる壁を押すとか、ロープを引っ張るとか・・・これらは大抵、腕だけをスーッと動かすだけで、それっぽく見えます。(始動時にちょっとアクセントが入りますと、なおさらです。)

基本的にロボット/人形振りと同じです。

非人間的な感じの方が、つまり、自分たちの身体感覚とはかけ離れたものの方が、違和感があって面白い。

けれど、私はこの嘘を、楽しいとは思いますけど、面白いとは思わないんです。

楽しいと面白いの違い?
それは心の表面だけが動くものが、楽しいで、心の奥も動くのが、面白いってこと。

最初に申し上げたように、一般的に、パントマイムは見せかけの動きが重視されますから、やる方も、見る方も、どちらも見せかけの動きの楽しさに、目を奪われてしまいます。

目だけならいいのですが、心まで奪われてしまい、楽しいだけのはずが、面白いとなってしまう・・・

私はあくまで、本人が本当に感じたものの結果としての動きであることを、大切にしたいと思っています。

楽しさではなく、面白さを追求していく。

ですから、追求すべきは、非人間的な動きではなく、極めて人間的な動き。

壁を押すといった動きを、単なる腕の移動ではなく、きちんとその重さを全身で受け止め、地面に伝え、といった力の流れを作り、感じる。

そして、その極めて人間的な動きを、拡大再生することで、「人間的」の向こうにある、「生命的」なところへ辿り着く。

壁を押しているように見える、というだけではなく、「押す」というエネルギーが見えるように。

押される壁に目が行くのではなく、押している人間のエネルギー、生命に目が向くように。

嘘には嘘の楽しさがありますけど、嘘のないところの面白さを多くの人に味わっていただけたらなぁ・・・