基本が大事といいますけど、本当に基本を大事にできているか?となりますと、なかなか難しいですよね。
そもそも、その基本といわれているものが、本当に基本なのか?という問題もあるような・・・
思いますに、基本というのは、ある意味で最終到達点でなければ、いけないんではないでしょうかねえ?
別に矛盾した話ではありませんで、つまり最終到達点の、「これ」抜きには成立し得ない、という「これ」が基本であるということ。
まあ、当たり前といえば当り前なんですけどね。
基本といいますのは、最終到達点のエッセンスでありませんと、基本とはいえないはずですから。
ところで、基本を元に応用となるわけですけど、出来た気になりやすい基本、その基本が身に付いていると思って応用しましても、本当は最終到達点でもある基本なわけですから、基本は身に付いていないはずですよね。
身に付いていないものを元にした応用って、一体なんでしょう?
極端な言い方をしますと、
でたらめ。
そこまで言わずとも、別のこと、違うことをやっているわけで、応用とはいえない。
無いものが元になるなんて、論理的に成り立ちませんものね。
そう、勝手なことをやっているにすぎない。
んう~ぅ・・・となりますと、最終到達点に達しないかぎり、勝手な別のことを、その気になってやっていることになってしまう?
最終到達点って何?という問題もありますし、そこに到達していなければ、別物だというのも極端過ぎますけど、基本というのは、単に最初に習う基礎ではないということ。
常に、常に、どこまでいってもついてくるもの。
特に、ある段階に達しますと、この基本の出来の質が、全体の仕上がりを大きく左右し、応用という名の装飾でのごまかしが、効かなくなってきます。
(バレエダンサーが毎日欠かさず、バーレッスンをするわけですね。凄い・・・)
と言いましても、ただ毎日、基本を練習しているのでは、時間がもったいない。
量ではなく、質。
地味な基本の中に、応用を見据えての、常に新しい発見を求める気持ちがありませんと、ただの反復練習になってしまいます。
そういう練習は機械に任せて、人間は人間らしく、発見の喜びを感じつつ、進化・深化させませんとね。
たとえ同じことの繰り返しだとしましても、一動作、一動作、全てが全く同じ動きなんて再現出来ないわけですから、そういう意味では、自分の動作との一期一会。
と、何だか立派なことを言いつつ、ついつい身に付いたと思ってしまうんですよね・・・ふ~ぅ。。。
私のこころ、怠けませんように・・・ですっ!