基本を見つけるように応用の練習をする必要がある。
基本を学んで応用を練習するのではない。
今回のお話は、この2行が全て。
全てなんですけど、いくらかお話っぽく(笑)
基礎・基本が大事ですよと言われても、
そんなことは、誰でも分かっていて、
けれど、本当の意味で大事に出来る人が少ないから、
また、この言葉が繰り返されるのだと思うんですね。
(ちなみに、私はあまり言いません。
ほぼ言わない?)
基本の稽古をして、そこから応用へと進んで行く。
そういったレッスンは多いと思います。
これは、初心者の頃は基本で、徐々に応用へということもありますし、
毎回のレッスンの中で、最初の10分は基礎・基本で、
その後応用へということもあるかと思います。
では、この基本は、その後の応用で、
どの程度、活きているのでしょうか?
もし、活きていないのなら、
それは、その人にとって、基本ではなかったということになります。
活きているかどうかの判断をどこでするのか?
という問題はありますけど、
人に教えるということをすると、分かるかと
思います。
もしここで、何も考えずに、教わってきた通りに、
ただ基本だから教えるとなってしまうようでしたら、
それは、やはりその人の中で、基本は活きていません。
基本を教えたいわけではなくても、
それでもどうしても、基本を教えないとどうにもならない。
そうなるようでしたら、
それは、その人の中で、基本は活きている。
そう思うんですね。
となりますと、自分が何かを身につけていくにあたり、
基本をどう考えるか?
簡単な基本とするのか、それとも、
その後ずっとついてくる、極めて重要な要素にするのか?
で、もし頭で
「ずっとついてくる、極めて重要な要素」だと
分かっていましても、
本当の意味で、重要な要素とするには、
身体が理解してくれる必要があります。
頭でではなく、身体で。
そのために何が出来るのか?
それが、冒頭の
「基本を見つけるように応用の練習をする」
なんです。
初心者の頃に教わった基本を、常に応用の中に組み入れる。
違和感があっても、とにかく基本を組み入れて実施する。
そうしていきますと、
当初の基本の質が悪いことに気がつくと思うんですね。
応用に耐えられていないなぁと。
そこで、基本の質を改めて自分に問うていくわけです。
で、本当の意味で、
あぁ、基本大事だなぁとなる。
こうして基本の質が上がりますと、
それまでの応用では、ここではどうしたらいいんだろ?
と考えなければいけなかったところが、
実は、基本通りで良いとなってきたりするんですね。
言い方を変えますと、
はたから見ますと、数限りなく見える応用が、
実は全て基本でまかなえる。
大変そうで、実は簡単。
そうなってくるんです。
これが、「基本はその後の応用で、どの程度活きているか?」です。
さて、冒頭の2行目
「基本を学んで応用を練習するのではない。」
ですが、
あぁ、やっと基本が終わった!これからが練習だ!
というのが、最悪のパターンですね。
けど、気持ちは分かります(笑)
大抵、基本は面白くないですから。
なので、私はあまり基本をやらないのです。
けれど、あらゆるところに基本があることを
分かってもらうようにしていっているんです。
そして、基本の重要性を肌で感じ取れる人たちには、
改めてしっかりと基本を伝えていっているんです。
ところで、
身体を動かす上での基本、
「立つ」「歩く」を、基本練習とする場合もありますし、
(厳密には基礎ですね)
分野特有の技術としての基本もありますから、
何を基本と考えるのか?
そこも、大事ではありますね。
最後に。
基本を見つけるように応用の練習をしていないために、
基本がいつまでも身につかず、
頭打ちになり、他の役立ちそうなものに手を出す。
そうならないための基本との向き合い方、
参考になれば幸いです。
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