普通は、「出来ない」ことを練習するのが、当たり前だと思うんですけど、「出来た」ことを練習するって・・・?
身体というものは、頭が悪く、なかなか思うようには動いてくれませんし、出来たと思ったことが、すぐに出来なくなってしまう。
けれど、一方では、非常に正直なところもありまして、一度出来たことを、再現は出来なくても、出来た時の感触みたいなものは、どこか憶えていますでしょ?
ですから、まずは何より、一度は「出来る」ことが重要だと思いません?
って、「出来たら苦労しないわよ!」ですよね。
それでも、私はワークショップや普段のクラスでは、可能な限り、「出来てるんじゃないかしら?」と思えるようにと、心掛けていまして、嬉しいことに、たとえばある仲間は
「JIDAIさんの身体感覚の導きに従っていくと、クラスの終盤には知らず知らずのうちに、いっぱしのパントマイマーになれるという、不思議な体験ができます。」
と言ってくれています。(ありがと~~~ぅ)
但し、やはり、こう続けていまして、
「クラスが終わるとただの人に戻るのが残念ですが」
(ホームページmime classの感想として、紹介していますので、他の方のものと併せて、お読みになってみて下さいませ。)
そうなんですよね。その時は「出来る」んですけど、ひとりに戻りますと、
「あれっ?・・・?」
殊に、パントマイムは「出来た」「出来ない」が、はっきりしないものですから、自分の上達具合が、自分ではよく分からないんですよね。
それだけに、一度きちんと「出来る」体験をしておきますと、ひとりに戻ったときの道標になると思うんです。
「出来ない」ものを練習するより、「出来た」ものを練習した方が、いいと思いません?
で、「出来る」と「身に付く」は違いますから、練習といいますのは、
「出来るようになる」ためではなく、「身に付くようにする」こと。
クラスやワークショップで出来たことに安心せず、けれど出来たことは確かな事実として、身体に残るわけですから、続けていれさえすれば、必ず身に付くはず。
「それでも少しずつ上達していくのが楽しいです。」
と、この仲間が言っているように、少しずつでも、身に付いていくことを、楽しんでもらいたいと思っています。
まずは「出来た!」ですね。