オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

無理せず、良い道具で、その気になって。

人前で歌ったり、踊ったり、演じたり、楽しい人にはとっても楽しいことですよね。

さてまぁ、そういったことが好きな人も苦手な人も、あなたが例えば、楽しく歌わなければならなくなったとしまして、その時どうされます?

そう・・・もちろん楽しい気分で歌おうとしますよね?

ところで、本人が楽しく歌えれば、楽しそうに歌っている・・・でしょうか?

そうであれば、いいんですけどね・・・

いや、本当に楽しんでいれば、楽しそうに見えるとは思いますよ。かなり特殊な例を除いては。

けれど・・・ときどき、ありますでしょ?本社がアメリカなんだと思うんですけど、店員さんの陽気さを前面に出したお店。
ある飲食関係ですと、歌ったりしますね。

どうでしょう?あの店員さんたち、楽しそうに見えます?

ご本人がどう思っているのかは、分かりませんよ。本当に楽しんでるのかもしれませんしね。
けれど・・・

早い話が、本人が楽しくその気になったからといって、他人に伝わるわけではない、楽しそうに見えるとは限らない、ということなんです。

演じるでも、歌うでも、人前で何らかの気持ちを見せようとする場合、その気になることが大切だ、みたいなことが、よく言われますけど、そうとばかりは言えないのでは?

気持ち・心・内面はそんなにダイレクトに、身体とは繋がっていないみたいなんですよね。

で、どうすれば良いのか?

・・・テクニックです。

歌(声)には歌(声)の、演技(身体)には演技(身体)の、テクニックが必要。



私のクラスでは、このあたりのテクニックを、イメージを膨らます訓練をするのではなく、身体・呼吸・空間といったものを使って行なうんです。

このやり方の大きな特徴は、その気になろうとするのではなく、その気になってしまうところにありまして、イメージしようとするのではなく、イメージされてしまう。

ですから、例えば、「心が痛い」というようなことでも、イメージから入るのではなく、身体から入って行きますから、「あぁ、なるほどぉ・・心が痛いというのは、こんな感じなんだなぁ。」みたいな感じになるんです。

う~んん・・ぅ、分かるかしら・・・?

ちなみに、「心が痛い」はあまり練習しません。体にも、精神的にも悪いので、多くやることは本当に、大変危険です。
心も体も壊れそうになります。

まぁ、といったことでですね、伝えるためには、それなりのテクニックが必要ということなんですね。

その気になりさえすれば、伝わるというものでもないですし、変に、その気になろうとしますと、本人も大変ですけど、観ていて痛々しくなります。

人前に声をさらす以上、人前に身体をさらす以上、何がどう伝わっているのかを考えなくては。

テクニックは、嘘をつく道具ではありません。

心と体を繋げる道具です。

いい道具を手に入れたいものですね。