身体表現の訓練(練習とは、敢えて言いません。)と言いますのは、体を動かす訓練ではないと思うんです。
どれだけ早く動けたか?どれだけゆっくり動けたか?高く、大きく、柔らかく・・・などなど、そういった訓練ではない!・・・と思いません?
むろん、必要です・・必要ですけど、それはスポーツの範疇。
表現のための身体とイコールではありませんでしょ?・・・本来は。
大事なことは、伝えたい、表したいとイメージしているものが、適格に身体に現れることですよね。て・き・か・く、に。
見ているお客さんに、
「あぁ、こういうことを表そうとしているんだな」
なんて思ってもらうことは、できるだけ避けたいですよね。
そんな思考を停止させて、ただ感覚の世界に引っ張り込むこと、それでこそ表現。
観ている人の心を動かす力があって、初めて表現。
そのためには、身体の使い方の意識を変える必要があると思うんです。
たとえ心がありましても、身体に適格に現れませんと、やはり伝わりませんものね。
で、それは、スポーツ的な訓練ではないですね。それではスポーツ的な身体しか身に付きません。
といって何も、綺麗に動こうとか、そんなことでもありません。
表現に美しさは求められても、綺麗さは必要ないと思うんですよ。本来は。
また、と言って、想いを強くすればいいか?といいますと、そんなことでもない・・・大抵、身体が適格に動かないまま、想いを強くしますと、目ばかりが強くなりますね。
想いと身体が繋がっていないから。
お芝居なんかで、「変に演技なんてするな!」みたいなことがあると思うんですけど、想いと身体って、意外に繋がっていないので、そんなこと言われてしまいますと、そう・・目だけに力がこもるようなことに・・・。
想いというものを、頭でイメージしてしまいますと、どうしてもこれは避けられないと思うんですよね。
けれど、想いは心から生まれるもの。
で、その心は肉体と切り離しては存在しませんので、心が動きますと、必ず肉体が同時に反応するはずなんです。
・・はずなんですが・・・ふ~ぅぅ、実際にはなかなかそうはいきませんね。。。
ですから、訓練が必要なんですね。
単に体を動かすスポーツ的なものではなく、まったく別の訓練。
ひとつには、身体が何を感じているか?を感じる訓練。
まぁ、これもヘタをしますと、つい頭で考えてしまいますから注意が必要なんですよね。
本人は感じているつもりでいますから・・・
よほどの天才でないかぎりは、ひとりでの練習は危険、危険。
(この危険に気が付かない人は、ある程度技術を習得しますと、教えを受けることをしなくなりますね。)
それと、もうひとつ。何故その動きになるのか?ということも重要ですね。
これは動きの種類・バリエーションのことではありませんで、軌道の話です。
・・まだ他にも大切な訓練はありまけど、これ以上、ここで細かいことはよしておきましょうね。
いずれにしましても、心がダイレクトに純度高く体に伝わるような訓練、それを意識しませんと、身体表現の質は上がりません。
逆に、うまくいきますと、肉体的なハンデ(体が固いとか、太り過ぎているとか、またいわゆるハンデキャップ)までもが、関係なくなると思うんです。
マイムに限らず、人前に立つ以上、身体と表現とは切り離せませんから、いい訓練を積めるといいですね。