お世辞を口にした時って、どんな感じですか?
「あぁ、自分は嘘を言っているな。」
って、仮に相手には分からないように、上手く言えたような気がしましても、そう思うはずですよね?
当たり前ですよね。
自分が感じていないことを、セリフとして口にしているわけですものね。
ですから、よほどの役者でありませんと、
そのお世辞はお世辞(嘘)として、やっぱり相手には伝わってしまうと思うんです。
で、マイム。
マイムは身体で語るわけですけど、同じなんですよね。
それ相応の訓練を積みませんと、その身体が語る内容が嘘臭くなってしまう・・・想像できますでしょ?
うれしくもないのに、
「わあっ!うれし~~~ぃっ!」
って、喋らずにできます?
相当、変になりますでしょ?
自分で自分が嫌になると思うんですけど・・・
しかも、どうしても大袈裟な表情をしてしまい・・・
そのことで、更に嘘臭さが自分に突き刺さってくる・・・あぁぁ。。。
これは何も感情表現に限ったことではありませんで、マイム(イリュージョン)テクニックでも言えること。
重くもないのに、重いふりをしますから、
身体はその嘘を感じているはずなんです。
(大抵はこのことを意識出来ていませんので、重いと感じてると思ってしまっているんです・・・)
身体は嘘を分かっていますから、凄く重いものを表そうとしますと、
やはり大袈裟な表情(あるいは顔の力み)をする他なくなってしまうわけです。
JIDAIマイムでは、上手になることを目指すのではなく、
この嘘をなくすことを目指します。
結果として、上手になる。
上手になろうとしているうちは、上手になれないんです。
まぁ、かく言う私もポーリッシュマイムに出会うまでは、その嘘に気が付いていませんでしたから、
全くもって偉そうなことは言えないんですけどね・・・
(厳密に言いますと、気が付いていたとは思うんですけど、どうしたらいいのか分からなかったんです。)
この嘘を破るのは、ひとりでは難しいですね。
といって指導者がいましても、嘘を破っている人でありませんと、
生徒に嘘を気付かせてあげられないと思いますから、
習えることは、知識、形、形式の域を超えませんし。
(嘘に気が付かない方が幸せかも・・・という考えを否定したりはしません。
気が付いてしまいますと、永遠に幸せは来ないかもしれませんものね。)
私は幸いにもテリー・プレス氏という素晴らしい指導者に巡り合え、またステファン氏と接することで、
嘘を破るための日々が続いているわけでして、
私は気が付けたことが(気が付かせてもらえたことが)、幸せの始まりだと思っているんです。
嘘が無いのは、楽しいですよ。
いい悪いではなく、純粋に楽しい。
嘘も時には楽しいですけど、嘘の無い楽しさの方が、味わい深い。
店名の付いたレトルト食品より、そのお店に行った方が美味しいですもの。
ゲーム機でスキーをするのも楽しいですけど、本当に雪山で滑る楽しさは格別ですもの。
どうです?あなたは心と身体から、嘘を減らしたいと思いません?