オーガニック・アートマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

詩と音楽とマイムと

詩人は言葉を大事にしますよね?
言葉を大事にしない詩人て、おかしいですものね。

その、言葉を大事にするという中に、
言葉と言葉のつながりを大事にするということもありますでしょ?

むしろ、そのつながりの方が大切な気がします。

音楽でも同じだと思うんです。
いち音いち音も大事ですし、さらに音のつながりということに、すごく気を遣うと思うんです。
譜面的にも、実際の演奏のときにも。

詩人は言葉を選び、そのつなげ方で表現し、
楽家は音を選び、そのつながりで表現とする。

詩人は「言葉の人」
楽家は「音の人」


で、マイムの人は何の人であるべきでしょうか?

そう、もちろん
「身体の人」あるいは「動きの人」
でなくてはおかしいですよね?

そうしますと、マイムの人は何を大切にしなくてはいけないか?と言えば、
それは身体であり、動き(身体ポジションのつながり)のはず。

詩人が選ぶひとつ、ひとつの言葉、音楽家が選ぶひとつ、ひとつの音に相当する、
身体ポジション。
これが大事なことは言うまでもありませんけど、そのつながりには、最大限に心をくだかなくてはいけないですよね。

あるポジションから次のポジションに移るとき、ある音から次の音に移る時、ここは最も危険なところ。

気を抜きますと、簡単に表現がこぼれ落ちてしまいます。
綱渡りみたいな感じですね。

どう、つなげるか?

それは、単にきれいにとか、スムーズにとか、ゆっくり早くということではないはずです。
そんな物理的なことではありません。

どんな意味がそこに込められるか?
そのつながりによって、何があらわれてくるのか?


パントマイムは単にマイムテクニックだけのものでもありませんし、喋らない演技でもありません。

「身体の人」として、細心の注意をして、身体を扱わなくてはいけないんです。
常に意味のあるつながりのために。

誰でも詩らしきものは書けます。
誰でもちょっと歌ったり演奏したりは出来ます。


けれど、それで詩人や音楽家と呼ばれることはないでしょうし、自分でもそうは思わないと思うんです。

さて、マイムの人よ、どうしましょう?

・・・がんばりましょっ!