小説にはストーリーがありますでしょ?
当たり前ですね(笑)
けれど、
作者はそのストーリーを伝えたいわけではないと思うんです。
伝えたいわけではないといいますと、ちょっと分かりづらいかもしれません。
作者はストーリーを理解してもらいたいわけではない。
ストーリーそのものではなく、
そのストーリーを通して伝えようとしているものが、あるはずなんです。
けれど、それは、言葉にはできないもの。
それそのものは、言葉にできない。
そこで、ストーリーを通して、つまり、「物語」の形を借りて、
伝えようとしている。感じてもらおうとしている。
ところで、私がマイム作品で大事だと考えているものに、
「物語性」というものがあるというお話を度々していますけれど、
この小説でいうところの、物語そのものではない、
本来伝えようとしている言葉にできないものが「物語性」だと思っているんです。
小説というのは、物語の形を使って、物語性を表現している。
私の考えでは、そういうことになります。
これは、小説に限りませんで、音楽でも踊りでもいえることだと思うんです。
人の心を捕えて離さない、長く広く愛されるようなものは、
「物語性を伝える」これがとても上手く強く成功しているのではないでしょうか?
分かりやすくは、お話では、神話やイソップ童話。
踊りでは、モーリス・ベジャール振付の「ボレロ」、特にジョルジュ・ドンによる踊り。
音楽では、ビヴァルディの「春(四季)」。
ずっと以前からお話していますけれど、人は物語無くしては生きていけない。
先日、あるツイートで
比較文化人類学者のA・アリアンによれば、
世界中の先住民の治療師(祈祷師、シャーマンなど)
が用いる「癒しの方法」には四つの共通点があった。
それは①物語を話すこと②歌③踊り④沈黙の重要性、であった。
とありました。
私は以前より、マイムは癒しになる。
マイムというものは癒しにおいて、その力を最大限に発揮し得る
という思いを持っていまして、
けれど、まぁ、上手く伝えられず、これまでは分かってもらえなかった・・・わけですけど、
このツイートを見て、確信といいますか、自分の考えに間違いはなかったと安心したんですよね。
人は自分の生きる物語を作っていると同時に、物語を生きている。
癒しを必要としている人、あるいは、癒しを必要としている時というのは、
その物語になにか欠落するものがあって、補完されることが必要なんだと思うんです。
そこで大事なのは物語そのものではなく、それを支えている「物語性」。
先のツイートの④の「沈黙の重要性」というのは、
癒しを必要としている人に、物語性が自ずと浮かび上がってくるのを(沈黙して)待つ。
ということだと思います。
人は、自分に必要な物語性を深いところでは知っているはずで、
けれど、
下手に言葉を使っていると、表面的な世界を生きてしまい、
その物語性を見失ってしまう。
言葉から離れ、沈黙することで、それが浮かび上がってくる。
そういうことではないでしょうか?
さて、「物語性」の無いものは無機質でカッコイイ、現代的な感じがします。
ですから、そういったものは、一時的に心奪われます。
けれど、それはアクセント、起爆剤的な役割は果たしても、本流ではない。
私はそう思っています。
人は生命を長らえるためだけでは生きていけない。それが人と動物との違い。
物語、物語性が必要なんだと思うんです。
私がマイム表現する理由がここにあります。
6月30日 『エモーショナル・ボディワーク〜伝わる感情〜』
7月2日 『声(音)を体に響かせる〜身体感覚を磨く 第7回』
7月12日 『原始歩き同好会』 500円!!
7月19日 『声(音)を体に響かせる〜身体感覚を磨く 第8回』
7月29日 『「丹田・軸・脱力」開発ワーク』
7月開講 『アートマイム塾〜シアターカイ本物の俳優修業シリーズ〜』
Body,Mind&Spirit 本当の自分の身体は天才だ!