身体表現といいますと、
多くの人にとっては、
自分とは関係のないものと
思われると思います。
たとえ観ることはあっても、
自分がやることはないと。
私も、もともと人前で何か表現しようと
始めたわけではありませんから、
そういう意味では
いわゆる「多くの人」の人間なんです。
けれど、
表現にかかわることで、
「自分」「他者」「社会」
に、面白い形でかかわることになりますから、
「多くの人」も表現の世界に
接点を持たれると
面白いのではないかと思うんです。
少し前に、
表現に必要なものは
想像力と意欲だとお話しました。
これに、人前でとなりますと、
もう一つ、非常に重要なものが出てきます。
それは、
デザイン力。
これはかなり昔、
プレゼンテーション力と言っていたのですけれど、
自分の想像力を、人に伝えるために
どうデザインするか?という力が必要なんです。
想像力は感性ですけれど、
デザインは、理性です。
想像力は、自分自身の目を持つことですけれど、
デザインは、第三者の目を持つことです。
相反する能力ですよね。
冒頭の「多くの人」は
表現者に必要なものとして
「想像力」は思いついても、
「デザイン力」は思いつかないと思うんですけど、
それは、
実際に表現している人も、
変わりはありません。
もともと、センスのある人か、
あるいは、必要性を学び取れた人が、
優れたデザイン力でもって
自分の想像力を表に上手に表現し、
創造性の高い表現になっているのだと思います。
つまり、
どれだけ素晴らしい想像力を持っていても、
デザイン力が弱ければ、
本人が思っているほどには、
人には伝わりません。
一方で、貧弱な想像力であっても、
デザイン力がありますと、
それっぽくなります。
さて、
身体表現を生業とする私ですが、
もともと人前で何か表現しようと
始めたわけではなかったがゆえに、
「想像力」と併せて「デザイン力」を
当初から無意識的に重視していたんですね。
それは、表現を始める前から
デザイン力の弱い表現に対して
「つまらない!」
と、強烈に思っていたからです。
自己満足でしょ?と
思っていたからです。
一方、自分が表現を始めていきますと、
「想像力」が貧弱にも関わらず
「デザイン力」で見せているものに対しても、
つまらないなと思うようになっていったんですね。
(この辺りは、あくまで私のものを見る目の問題ではあります。)
ですから、
私のところで表現を学ぶ人には
作品をつくらせるのですけど、
それは
「想像力」と「デザイン力」を
養ってもらいたいからです。
ただ、受けの良い作品をつくってしまうのでしたら、
私のところで学ぶ意味は、
薄れてしまいます。
自分自身の目が
何を見ているかに気づき、
同時に、
自分の世界に閉じこもらずに、
その世界を、どうしたら第三者の目に映せるか?
という、
第三者との接点を持つ、
観客とのコミュケーションを成立させるのです。
これは、言い方を変えますと、
「自分軸」と「他人軸」を
鍛えているわけです。
(〇〇軸という言葉、唐突に出しましたけれど、
概ね感じは伝わると思いますので、ご容赦を。
いずれ、お話するかもしれません。)
さらに、
「社会軸」として、
その表現が社会に対してどう位置付けられるか?
に思いを馳せるとこまで行けると、いいなと思うんですよね。
さて、一見、
単に「自分」の想像力と感覚だけを頼りにしているような
身体表現ですけれど、
実は、このような感じで
「他者」「社会」と関わることになるんです。
私もそんなつもりで始めたわけではないのですけど、
始めてよかったなと思う…どころか
だからこそ、楽しめるのです。